前回は、バイオマスの視点から見た農業の特徴を解説した。今回は日本の農業の現状と問題点を整理する。
食糧の自給率について
日本の食糧自給率は、とても低いことで有名だ。例えば、カロリーに換算した値で40%程度という具合。しかし、この値だけを見て、大丈夫とか危ないとか論じることにはあまり意味がない。
それはどういうことか?
食糧自給率とは、国内食糧生産量/国内食糧消費量のことだ。主な計り方として
1.品目別の重量ベース自給率
2.穀物自給率(グラフの黄と緑の線)
3.供給カロリー自給率(同、青の線)
4.金額ベースの総合自給率(同、赤の線)
などが挙げられる。
1.の「品目別の重量ベース自給率」は個々の品目の自給率を知ることができるものの、全体的なことは分からない。
2.の「穀物自給率」は、人間の食べ物と家畜の飼料とを総合的に把握でき、国際比較もしやすい。3.の「供給カロリー自給率」は、カロリーに換算することで、品目を統合できる。
しかし「穀物自給率」と「供給カロリー自給率」は、カロリーの低い野菜の自給率や、輸入飼料に頼っている畜産物の自給率などが適正に評価されない。特に「供給カロリー自給率」は、国内生産量が変わらなくても、食生活が高カロリー型に変化するだけで自動的に低下してしまう。
4.の「金額ベースの総合自給率」は、総合化が容易であるものの、高価なものを自給し、安価なものを輸入することで値が高まる。為替変動や関税によっても変動する。
以上のことから分かるように、ひとくちに食料自給率と言っても完全なものはなく、いずれも一つの見方に過ぎないことが分かる。重要なのは、私たちが普段食べている高級化した食糧ではなく、生活するのに十分な食糧の確保に視点を置いた自給率だ。日本の食糧自給率の状況は、品目別の自給率などを基に総合的に判断する必要があるのだ。
 |
| 写真をクリックしていただくと詳細な拡大図になります |
改めて、日本の食料自給率を見てみよう。日本の自給率は低下傾向にある。これは間違いない。しかし国内農産物の生産量が変わらなくても、食生活が変化すれば自給率が変わる。コメは、生産量が大きく減少したものの、食べる量も減少しているので自給率に大きな変化はない。コメに代わって消費が増えた畜産物や油脂類は、生産量が上昇しているにもかかわらず、自給率は低下している。
カロリーに換算した自給率の値が低い理由の一つは、飼料穀物を輸入に依存していることにある。現在の畜産は大量の穀物を餌として与えている。だが、穀物のエネルギーがそのまま、乳・肉・卵に替わるわけではない。家畜の命を維持することにも使われる。つまり畜産物を食べるには、大量の穀物が必要なのだ。現在のボリュームで畜産物を生産するのに必要な穀物を、国内で生産することはできない。したがって大部分を輸入に依存することになる。
 |
| 写真をクリックしていただくと詳細な拡大図になります |
 |
| 写真をクリックしていただくと詳細な拡大図になります |
食糧輸入と農業の多面的機能
日本は先進国の中で唯一市場を開放し、世界中から食糧・農産物を輸入している。関税(農産物平均関税率)は平均12%で、EUの約半分だ。コメ、乳製品、肉類といった一部の高関税品目を除けば、農産物関税はとても低い。野菜は3%。畜産用の飼料作物や大豆は、なんとゼロ%だ。
安い輸入農産物があふれると、市場において農産物が過剰となり、高い国産品は売れなくなる。生産者は農産物が売れず、利益が損なわれる。いっぽうで消費者は、安価に農産物を購入できるようになる。生産者と消費者、どちらの利益を優先にした方が国全体として得なのであろうか?
結論から言えば、多くの場合、生産者の利益を守る方が得だ。関税収入の機会損失は、消費者が得ている利益よりも大きい。また農業には食糧生産以外の付加価値もある。洪水防止、土壌浸食防止、気候緩和、やすらぎなどといった多面的機能だ。
温暖湿潤で急峻な地形の日本は、国土を全面的に畑として開発することはできない。土壌流出や洪水を引き起こしてしまうからだ。そのため斜面に無数の小ダムを築き、貯水しながら開発する必要があった。
そういったダム機能を備える農地の形態が水田だ。日本は、残る土地の一部は畑としたが、基本的には森林として残した。里の水田や生活を守るためには、上流に森林というダムを築く必要があったからだ。このように水田造成は日本にとって、国土開発の一部でもあり、保全の手段でもある。その価値は、日本の農業の純生産額を上回る年間約8兆円と試算されている。
日本の農業を考える
おいしくて安全な国産農産物を生産することが、日本の国土を保全する。国民は美しい環境を享受することができるはずだ。しかし現在の日本はそうなっていない。海外産の安い農産物があふれ、国内の農業生産は縮小。そして国土は荒廃した。自給率や農業所得は低下し、地域社会の活力も低下した。国内の農業は苦戦しているのだ。
いっぽうで、現在の食糧消費を約2500kcal/人とすると、秩序ある食糧輸入がどうしても必要になる。現在の農業の潜在的生産能力では、1人当たり1日2000kcal未満しか供給ができないとされているからだ。
現在の日本の農業は、太陽エネルギーを有効に活用できていないために、大変な赤字産業になっている。このため、現在の農業を維持するために、私たちは多くの負担をしている。農業所得100円を生み出すのに、国民はおよそ117円負担しているという試算もある。
コストの大部分は、農業関連公共事業として税金から支出されている。この金額は跳びぬけて大きく、アメリカの23倍、EUの7倍という試算もある。さらに、莫大な金額が農業政策に投入されているにもかかわらず、農業総生産はほとんど上昇していない。農業生産活動による最終生産物の総生産額は増えていないのだ。農業の付加価値である美しい国土も私たちは得ていない。
日本の農業従事者の労働賃金は国際的に見て高い。日本を100とすると、アメリカは75.2、カナダは66.2、オーストラリアは62.3、韓国は33.2、中国は2.5という試算がある。日本の農業が、マンパワーではなく、枯渇性資源を大量に使う機械化に傾倒していく理由の一つだ。また日本は国土が平坦ではないため、人口に対して農用地面積が少ない。海外と競争するには条件が不利なのだ。
 |
| 写真をクリックしていただくと詳細な拡大図になります |
近自然な農業を考える 〜 太陽エネルギーの有効活用
農産物はバイオマスであり、太陽エネルギーを元に持続的に得ることができる。農業は、やりようによっては国土を保全し、環境負荷を低減する。
しかし現在の日本は、太陽エネルギーを有効利用できていない。農産物はすべての国民が毎日必要とするものだが、国内自給率は低下し続けている。安全な食べ物を安心して持続的に得るためには、どれだけ効率よく太陽エネルギーを得ることができるか、言い換えれば、国内自給率をいかに高めるかを考えることが重要だ。
現在日本は輸入食糧を安価で安定的に確保できている。いっぽうで、国内農家への支援を削減している。輸入や豊作によって農産物が過剰になると、農産物の価値が生産に要した費用以下に切り下げられたりもしている。海外は輸出を視野に入れた農家の保護があり、対抗することは困難だ。
では、どうしたらよいのか?
近自然な農業の理想は、太陽エネルギーと同様、「使う場所で集める」という基本に沿った形だ。つまり、農産物を、必要とする各家庭で集める、つまり生産するのだ。庭のある家庭は庭で、ベランダがあればベランダで、近くに空き地があれば、借り受けて家庭農園にする。こうすることで、効率良く太陽エネルギーを確保し農産物の生産に利用することができる。
自家消費用の食糧は、各家庭が本当に求めている食材であり、確実に消費されるだろう。売れずに腐って廃棄されることもない。食費にかかっていた費用も低減する。小さな畑なら目が行き届くため、無農薬有機栽培を行い付加価値を高めることも可能だ。国全体から見れば、生産量が増加するため自給率が向上する。各地域では、独自の食材・食文化の維持ができる。都市部では緑が増え、裸地が減るため、雨を一時的に蓄えたり、花粉の拡散を押さえるといった機能も期待できる。
栽培に特殊な技術や環境が必要なものや、気候条件に制約があるもの、専門施設が必要なものなどはどうするか? 各家庭では生産できないような農産物や、国民に十分な量を供給しなければならない品目の生産は、プロである農家が担う。
農業を産業として見た場合、低コスト化とマネジメント能力を高めることが必要不可欠だ。生産工程の効率向上を図り、単位量当たり費用を低減させる。遊休農地を有効に活用して多くの太陽エネルギーをとらえる。部門別責任者を明確にしたり、月給制、社会保障、福利厚生、休日などを整備する。
そう考えていくと、経営規模を大きくしがちだ。しかし、規模拡大には注意を要する。規模が大きくなることで、枯渇性エネルギーに依存しやすくなる。持続的な経営でなくなってしまう可能性があるのだ。
いっぽう、規模を大きくすることで、単位量あたり費用は減少する。固定費用が低減するからだ。だが規模を大きくし過ぎると、コストの減少度合いが低下してしまう。スケールメリットが発揮されにくくなるのだ。
分かりやすくするため、簡単な模式図を書いてみた。赤い曲線がスケールメリットの効果を示している。経営のしかたによって曲線の形は異なるが、平均費用が最小となる規模、すなわち適正規模を正しく把握しなければ、無駄なエネルギーを費やすことになるので注意したい。
 |
| 写真をクリックしていただくと詳細な拡大図になります |
規模の大きな農家を産業として見た場合、まとまった量の生産物と廃物が出る。廃物は正しく分別すれば、他産業で利用可能な資源になるだろう。混ぜれば廃物、分別できれば資源なのだ。複数の異種産業と連携して循環の流れを構築できれば、熱以外の廃物が出ないようにすることができるかもしれない。
いっぽう社会として見ると、規模の大きな農家ばかりになることは望ましくない。規模の大きな農家ばかりになると、その戸数や人口が少なすぎる状態になってしまうからだ。農家にとって不可欠なサービス(機械や肥料製造など)や、地域の公共サービスを維持するためは、ある程度の顧客数と戸数が必要だ。地域コミュニティーや良好な景観を維持するためにも、様々な農家との共存が必要だ。
近自然な農業を考える 〜 マンパワーの有効活用
近自然の考え方の一つに、脱石油エネルギーとマンパワーの活用がある。人の手によって付加価値を高めるというものだ。幾つか例を挙げてみよう。
[例1:柔軟な環境管理による付加価値の向上]
現在、日本の農家で行われている悪臭や水質などの環境規制は、立地や環境条件が異なっていても一律で決められている。近自然学の考え方を基にすると「農家ごとに異なる自然的、地理的、社会的条件に応じた別々の環境対策を行うことが可能なシステム、を検討する」という提案ができる。
もちろん農家ごとに環境管理計画を策定することは大変な作業だ。しかし一律でなくなることで、その地域に最適で低コストな設備を構築したり(枯渇性資源の節約)、バイオマス資源を使った景観の維持が期待できる。策定者には対価が支払われ、その地域は付加価値が増すことになる。
[例2:学校給食の献立面による付加価値の向上]
現在の日本の給食システムは、安定調達を前提としているため、地元で生産した食品の数が少ない献立になっている。近自然学の考え方を応用すると、輸送・保管にかかるエネルギーを削減し(脱石油エネルギー)、地元で採れた旬の食材を、いちばんおいしく栄養価が高いときに食べる、という提案ができる。
余剰農産物や市場に出せないような規格外農産物も利用する。地元の特産品なども生産に応じて献立に取り込む。献立を作る栄養士のマンパワーを借りることによって、地元で採れた農産物を安定的に供給することが可能となる。農家をはじめとする人材の交流や食育(編集者注:子どもが自分の健康を自分で守り健全な食生活を送るための教育)にもつながり、地域の活性化につながる。
マンパワーという表現を使っているが、家畜の力を使って付加価値を高めることもできる。畜産物のことだ。バイオマスとしては利用価値の低い草を、家畜の体を通すことで乳・肉・卵といった利用価値の高いバイオマスに変えることが可能だ。
近自然な農業を考える 〜 農村のランドシャフト
農地は、人間が毎年手を加え続けているビオトープ、すなわち食糧を生産する場所だ。農業の営みに合わせ、多くの生き物も共存してきた。食糧の生産量が減少し、農地に手を加えなくなると、このビオトープは衰退する。農地の周辺で見られる多くの生き物は、人間の活動によって支えられているのだ。
農村の風景は美しい。しかし美しくしようと思って形づくったわけではない。長い間の人の営みや、農業生産活動の結果によって生じたものだ。コメの栽培が盛んだったころは水田が広がり、山には棚田がある風景を成した。
現在の日本は食生活が大きく変わった。国民の求めている食糧が変化したのだ。コメの消費が減少し、ちょうどその分畜産物と油脂類の摂取量が増えた。これからの農村の風景は、家畜が普通に見られる風景になっていくのだろう。
 |
| 写真をクリックしていただくと詳細な拡大図になります |
全国の住宅地が食糧生産を行い、農村の風景が変わっていけば、人の生活や経済活動も様変わりするだろう。いっぽうで、枯渇性なのに安価に入手できる資源・エネルギーがある限り、大きな転換はしばらく望めないかもしれない。
今できることは、いつでも転換できるように準備しておくことだ。農地を確保し、荒廃させないこと。地域の気候風土に適した食材を衰退させないこと。文化の継承を含む独自の食文化を継承していくこと。そういったことは、いずれ必ず求められる。無くなった後に復活させるより、維持する方がはるかにコストが安い。
農業を衰退させることは、国民の安全保障の基盤を失うことと同義だ。不測の事態は、いつやってくるか分からない。次世代にわたって心豊かに暮らしていけるように、万全の準備を進めておきたい。
(光井 淳之)
■お知らせ
4月9日、10日に、「近自然学」をテーマにした山脇正俊氏の講演会があります。
・4月9日 「体得! まるごと1日、近自然学: 環境に優しいまちづくりを考えよう」(参加有料)
・4月10日 「食から地球環境を考える −私たちの食卓と農業のつながりの再生をー」(参加無料)
パネルディスカッションと映画「おにぎり」の上映会です。
詳細はこちらをご覧ください。