新しいエネルギー利用(1)〜太陽エネルギーは使う場所で集める

2005/01/06

現在の地球環境の惨状は、エネルギー利用の「質」と「量」両面における我々人類の不手際が原因であると極論できよう。「質」の面での不手際は、石油・原子力など化石資源エネルギーへの極端な片寄り。「量」の面での不手際は、エネルギー消費量の指数関数的な増加である。
環境悪化の原因がはっきりしているなら、その解決法をみつけるのは実はたやすい。
「質」の面での解決策は、化石資源エネルギーから再生エネルギーへの転換である。再生エネルギーの代表は太陽エネルギーだ。
いっぽう「量」の面での解決策は、消費量をむやみに増やさないことだ。それは、我々のライフスタイルの転換を意味する。近自然学はライフスタイルの転換を否定的(豊かさの制限など)には考えない。むしろ逆だ。物質的な豊かさを偏重するライフスタイルから、物質・精神両面を重視する本当の豊かさを求めるライフスタイルへの転換ととらえたい。
この転換は、素晴らしい人生をもたらしてくれるに違いない。
さらに「量」の面では、エネルギーのムダをなくす(効率を上げる)ことも忘れてはならない。そのためには、エネルギーの「輸送」と「変換」を可能な限り減らしたい。つまり、「必要とする場所」において「必要な形で」エネルギーを得ることだ。こうした視点で考えると、至る所に分散して様々な形で存在する再生エネルギーの利用拡大は最適の解決策と言えよう。
エネルギー利用の新しい形は、太陽エネルギーを中心とする「あらゆる再生エネルギーの分散利用」を基本コンセプトとする。
再生エネルギーの利用というと、現状は、大規模な太陽光・風力発電ばかりが目立つ。これは、再生エネルギーを利用するものではあるものの、従来型の集中利用のやり方をそのまま引きずったやり方にすぎない。集中利用とは、発電所などの核となる拠点でエネルギー(例えば電気)を作り出し、送電線などで広く分配する仕組みをいう。
現在の太陽エネルギーの利用は、エネルギー供給者などの都合から、核心を外していると思われる。ここで、市民の視点からこれを見直してみたい。そうすれば、エネルギー利用の世界に全く新しい地平が開けるだろう。同時に、多くの新しいビジネスチャンスも生まれるに違いない。
新しいエネルギー利用では、以下のテーマを順に取り上げていく。
- エネルギー利用の問題点
- 間違いだらけの太陽エネルギー利用:市民の視点から見直す
- 太陽エネルギーとの正しい付き合い方:形を変えない、遠くへ運ばない
- 脱石油のシナリオ
- エネルギー貯蓄は多様に
1.エネルギー利用の問題点
かなり厳しい状態にある現在の環境を好転させるために、エネルギー利用の見直しが必要だ。環境問題は、「汚染」、「破壊」、「循環阻害」に代表される。その中でも「(大気、水、土壌)汚染」は、エネルギー利用における我々の不手際と深くかかわっていると言えよう。
エネルギー問題には「量」と「質」の2面がある。「量」の問題とは、ほとんど指数関数的とも言える消費量の増加だ。このまま増え続けたのでは、我々が何をしても、環境が破綻することは明らかであろう。
図1 世界のエネルギー消費量の指数関数的増加(出典:OECD 2002年)
全世界のエネルギー消費量を見ると、第2次世界大戦後の急激な増加は異常だ。それだけ我々が豊かになっている証拠とも言えるが、遠からず破綻することは明らかだろう。
「質」の問題は、環境負荷が大きく(しかも有限な)石油や原子力など化石資源エネルギーへの極端に片寄った依存だ。
これでは、我々が豊かになればなるほど環境が汚染される。従って、豊かさも持続し得ないことになってしまう。子どもたちのためにも、この状況をなんとか変えなければならないではないか。
図2 化石資源エネルギーへの極端に片寄った依存
(出典:東京電力 2004年)
再生エネルギーの利用は、わずかずつではあるが上昇している。しかし、エネルギーの全消費量に占める割合は数%にすぎない。大きな変革が必要だ。できれば我々自身の意志で徐々に実現するソフトな変革にしたい。
2.間違いだらけの太陽エネルギー利用:市民の視点から見直す
太陽エネルギーが十分にあることは、「太陽エネルギーへの転換を考える」の章で説明した。そこで有効利用しようということになる。
しかし、現状はどうだろう?
図3 大型風力発電の例(写真提供:中島敦司氏)
大規模な太陽光発電や風力発電が目立つ。これらは、全く無意味なわけではない。しかし、太陽エネルギーの強みを生かした使い方とは言いがたい。従来の「集中システム」の思考法から脱却できていない結果とは言えまいか。
残念ながら、大規模な太陽光発電や大型風車をズラーッと並べた風力発電ばかりが目立つ。これらの仕組みは本当に正しいのであろうか? 現在の太陽エネルギーの一般的な利用法に関して、基本的な間違いを3点指摘することができる。
- 太陽光と風力に片寄っている
- 発電に固執している
- 「集中システム」の思考法から脱却できない
最大の問題点は、3点目だろう。
「至る所に様々な形で存在している」という太陽エネルギーの長所に適した利用がされていない点だ。石油を中心とする化石資源エネルギーに適している考え方を、太陽エネルギーのような再生エネルギーにそのまま適用するだけでは、上手いやり方とは言えないのである。
石油や原子力などは凝縮した「集中エネルギー」だ。だから、集中利用すればスケールメリットが出る(効率が上がる、コストが下がるなど)。同じ負荷をかけた場合に環境が受けるダメージを最小にするためにも、この集中利用は有効だ(「太陽エネルギーへの転換を考える」の章、参照)。つまり石油などは集中利用することが正しい。
それに対し、太陽エネルギーは広く低密度な「分散エネルギー」である。石油などとは性格が正反対と言える。だから、大規模な太陽光発電や大型風力発電施設ばかりを造っても成功はおぼつかない。
例えば、太陽光発電では、2倍のエネルギーが欲しければ2倍の面積が必要であり、そこには効率向上の余地はない。逆に言えば、分散しても効率の低下がないわけである。分散とは、エネルギーを必要としている場所でエネルギー得て使用すること。エネルギーを失う原因となる輸送が不要となる。
一方、風力はどうだろう。これも太陽光と同様に、2倍のエネルギーが欲しければ、2倍の風の力を受け止めなければならない。しかし、風の強い場所とそうでない場所がある。一般的に上空は風が強い。そこでプロペラを高い場所に設置したくなる。すると、強度確保の必要性から、大型化が必要になってしまう。また、海岸や尾根なども風が強い。強い風を受けるためには、同様に大型になることが避けられない。つまり、大きなエネルギーを得るための建設に、大きなコストとエネルギーの投入が必要となるわけである。
また、発電施設がエネルギーの消費地から離れているため、ロスの大きなエネルギー変換(風の力を電気に変える)と輸送をせざるを得ない。また、変電・送電施設の建設にも多大なコストとエネルギーを使う。
さらに、共有財産である素晴らしいランドシャフトを壊し(風景を台なしにし、うるさい騒音を出す)、不快さを招く。渡り鳥やコウモリにとっては致命的な脅威となる。そのために、夜間は無風時でもライトアップしなければならない。風力の上手い使い方とはとても言えないのではないか。
つまり、石油や原子力など集中エネルギーと、太陽エネルギーを中心とする分散エネルギーは基本的な性格が異なるので、発想を変えたエネルギー利用の形が必要なのである。
なぜこんな間違いが生じたのか?
それは、太陽エネルギーの利用が、主にエネルギー供給者やそれをバックアップする研究者の視点でなされているから、と言えよう。今までのインフラをそのまま使ってビジネスをしたいと思うのは、経営上の必要としても人情としても理解できる。しかし、だからと言って、子どもたちの将来のために、それを安易に認めるわけにはいかないではないか。
つまり、太陽エネルギーを有効利用するためには、「市民の視点」からエネルギー利用を見直すことが必要である。そしてそれは、発想の転換ができる多くの企業にとって、新しいビジネスチャンスとなるに違いない(今までのエネルギー供給者のビジネスがなくなるわけではないので、心配ご無用)。
3.太陽エネルギーとの正しい付き合い方:形を変えない、遠くへ運ばない
・光と熱だけが太陽エネルギーというわけではない
太陽エネルギーとは太陽光と太陽熱ばかりではない。それらが自然界において形を変えた、風、川、波、間接熱(太陽熱によって暖められた水・大気・地表が持つ熱のことで、冷熱も含む)、そしてバイオマス(生物資源)など、すべてを含めて考える必要がある。
できれば、量は少ないものの、これらに地熱と潮汐も含めて、より大きな再生エネルギーとして考えたい。そして、それらすべてを適材適所で利用するのがよい。
・形を変えない:エネルギー変換しない
一口に太陽エネルギーと言っても様々な形がある。エネルギー変換は大きなロス(損失)を伴うので、効率を上げる(ロスを減らす)ために、元々の形のままで使うことを考えたい。つまり、太陽光は自然光として、太陽熱や地熱は部屋・水・石を暖める熱源として、風力や水力はメカモーターとしてポンプや機械を動かす動力源として、バイオマスはそれぞれの形のまま使う。せいぜい余剰分を発電に回すくらいに考えたい。これが「形を変えない:エネルギー変換しない」という意味である。
図4 太陽熱温水器の例(スイス・ヴァルテンスブルグ)
太陽熱温水器はエネルギー変換をしないので安価で効率が良い。スイスアルプスの厳冬期でも水温90度を容易に実現できる。
・遠くへ運ばない:地産地消
太陽エネルギーは、広く分布した分散エネルギーであることを述べた。つまりどこにでもあるという意味だ。そこで、エネルギーを必要としている場所で獲得するのが最も効率が良い。そうすれば、エネルギー輸送(輸送のためのインフラの建設と維持にも多大なエネルギーを必要とする)による大きなロスが不要となるだろう。これが「遠くへ運ばない:地産地消」という意味だ。
・複雑で高価なハイテクを「少し」より、単純で安価なローテクを「広く」
太陽エネルギーは薄く(低密度に)広く分散して存在することは、これまでに述べた。集中エネルギーには有効であった複雑で高価なハイテク施設は、適用しづらい。むしろ、単純で安価なローテクの装置を広く普及させることが、同じ予算、同じ投入エネルギーで考えた場合、確実に有利だ。ここでも発想の転換が必要なのである。
ローテクは、多くの日本企業や研究者にとって不得手な分野と言えるかもしれない。しかし、この障害を乗り越えない限り、太陽エネルギーの有効利用は成功し得ないと言えよう。
図5 ローテクシステムの例(写真:WWFスイス)
我々はハイテクシステムに走りがちだが、単純で安価なローテクシステムを広く普及させる方が、太陽エネルギーの利用率を上げるためにはずっとよい。
「脱石油のシナリオ」と「エネルギー貯蓄は多様に」のテーマは、次回に説明する。
■著者から
2005年3月初めから5月末まで一時帰国し、全国で講演を行う予定。
講演会やシンポジウムをご希望の行政・企業・団体の方はぜひご連絡ください。まだスケジュールに若干の余裕があります。
(山脇 正俊=近自然学研究家)
=読者からのコメント=

■「ローテク・ハイコンセプト」がこれからの環境・エネルギー問題の解決のキーワードとなりそうです。
いずれにせよ、使わないための方策が重要となるでしょう。「無理をして削減する」という意識から「省エネルギーを楽しむ」という気持ちの余裕への転換が、それだけ浸透するか…幼児・初等教育の責任も大きくなりそうな気がします。
(WOODS:44歳:国家1級)
■以前から、近自然学の考え方にすごく共感している一人です。
生物の分類から言えば人類は、「脊索動物門・脊椎動物亜門・四足動物上網・哺乳網・正獣下網・霊長目・真猿亜目・人上科・人科・人属・人種」という一種でしかない。しかし、知能という特殊な能力を身に付けたために、欲望までも肥大化させ、自然界を意のままにできると錯覚し、結果的には人類にとって住みにくい状況をつくり出しているように思える。
10年前に、阪神・淡路大震災で未曾有の被害を受けた。その後の復旧・復興は、橋や建築物の強度を強化させることに向かってしまった。
力で押さえ込むような手法を続けていくことが、結果として災害の規模を大きくしていくことにもなるのではないか。震災を経験し、その後の10年間の普及・復興を見てきてそのような思いが起こっています。
(中年おじさん:55歳:地方公務員)
■こんばんわ
今回も示唆に富むサジェスト、感謝します。かなり思い切ったご提案だと思いました。
風力発電の場合、大型風車の方が小型風車のものよりも、建設・解体まで含めてもCO2換算での環境負荷は小さいとの話を聞いたことがあります。山脇さんのお話ですと、負荷の計算などは、単一のものだけで評価するのでは不足で、ランドシャフトのようなものまで総合的に評価基準に加えた方がよいと言われているように感じました。そういうことでしょうか?
私自身、負荷は総合的に評価することが良いと思っています。それならば、どういうことが評価軸に入ってくるのだろう?と、山脇さんのお考えを聞いておきたいと思いまして。
よろしくお願いします
(あなぐま君)
■「石油を中心とする化石資源エネルギーに適している考え方を、太陽エネルギーのような再生エネルギーにそのまま適用するだけでは、上手いやり方とは言えないのである。」という視点は、私も当初から重要な視点だと考えており、非常に共感しています。
太陽光や風力といった再生可能エネルギーへの転換に対する「非現実的だ」という批判的意見は、現在のエネルギー供給・消費システムの中にそのまま当てはめようとしているものが大半です。やはり化石燃料に比べてエネルギー密度の低い再生可能エネルギーは、個別分散型のエネルギー需給システムの中で威力を発揮するものだと思います。
これからは、もっとこの視点に立った議論がなされるよう、考え方を普及させていく必要があると私も考えております。
(donchan:27歳)
■山脇さんがおっしゃる通り、人間だけの都合で何でもかんでも電気に替えないと気がすまない「先進文明国」の人たちは、私も含め、環境問題の何たるかをいまだに全身全霊で理解し得ていないように思います。
冬に、太陽光発電によるオール電化の家の中で過ごすより、「日向ぼっこ」をしたり「おしくらまんじゅう」で体を温めたりする方が、もっとロスの少ない、科学的にも効率的な方法だということを理解してほしいです。
「パワー」で自然をねじ伏せようとするアクテイブ・ソーラより「お天道様」のご機嫌に、無理をしてまで逆らおうとしないローテクのパッシブ・ソーラを優先すべきだと思います。
これまで「地球にやさしい」などという言葉を何の疑問も抱かず使ってきた私たちは、こんどのスマトラ沖地震・津波で示された地球の一側面を目の当たりにして大いに考えを改める必要があるのではないでしょうか?
(伊済津左次:57歳:たねや)
=筆者からのレス=
(WOODS:44歳:国家1級)さんのコメントに
「『ローテク・ハイコンセプト』がこれからの環境・エネルギー問題の解決のキーワードとなりそうです」。
なるほど、そういう表現がありましたか。
「いずれにせよ、使わないための方策が重要となるでしょう」。
その通りだと思います。
今まで我々は、浪費を「豊かさ」と勘違いしていたフシがあります。また、使うことを前提として、効率を上げることに躍起となっていました。豊かさに大して影響しないなら、いっそのことやめてしまうのが最善ですね。
「『無理をして削減する』という意識から『省エネルギーを楽しむ』という気持ちの余裕への転換が、それだけ浸透するか…幼児・初等教育の責任も大きくなりそうな気がします。」
全く同感です。
無理は長続きしませんし、愉快じゃありませんね。そうではなくて、本当の豊かさを求めることが、結果として環境負荷を低減することになる、と考えたいです。
教育はとても重要です。そのためには、親や先生も環境と「共生共存する」本質を理解しないとダメですね。現状では、教える側がガタガタのようです。
(スイスの山脇:54歳:入門「近自然学」筆者)
=筆者からのレス=
(中年おじさん:55歳:地方公務員)さんのコメントに
「以前から、近自然学の考え方にすごく共感している一人です」。
どうもありがとうございます。個人的にもうれしいコメントです。
「知能という特殊な能力を身に付けたために、欲望までも肥大化させ、自然界を意のままにできると錯覚し、結果的には人類にとって住みにくい状況をつくり出しているように思える」。
その通りだと思います。
望みを実現することが豊かさや幸せに結び付く、と信じて私たちは邁進(まいしん)してきたわけです。いま、「どうもそうではないらしい」と多くの人が気付き、とまどっているのが現状ではないでしょうか。かと言って、文明否定や禁欲主義にも賛成できず、納得できる代案が提示されていなかったように思います。
「10年前に、阪神・淡路大震災で未曾有の被害を受けた。その後の復旧・復興は、橋や建築物の強度を強化させることに向かってしまった」。
その通りですね。
原点に戻り、近自然の考え方を基に都市計画をやり直す大きなチャンスでした。環境負荷が小さい、緑地を大きく取った、住んで気持ちのよい、コンパクトな都市を実現できる可能性があったのですが…残念でした。
「力で押さえ込むような手法を続けていくことが、結果として災害の規模を大きくしていくことにもなるのではないか。震災を経験し、その後の10年間の普及・復興を見てきてそのような思いが起こっています」。
お気持ちよく分かります。
自然を征服できると思うのは、人間のごう慢か甘い誤解ですからね。それを認めてしまうなら、自然とうまく折り合いをつけるやり方が得策だということになります。
市街地でも、緑地やオープンスペース(空間)の重要性に対する認識が不足していると思います。経済的にムダと思われがちですが、そうではありません。緑地は、眺めたり、その中を散歩したりすることで気持ちよくしてくれます。さらに、それ自体が酸素を生み、バイオマス(生物資源)を生産し、騒音を吸収し、動植物の住み処となります。地震や洪水など災害への安全性を高める効果もあります。
さらに、経済的なメリットもあります。周辺の地価を上げるので、これが、土地所有者にとってのプラス効果となります。
(スイスの山脇:54歳:入門「近自然学」筆者)
=筆者からのレス=
(あなぐま君)さんのコメントに
「今回も示唆に富むサジェスト、感謝します。かなり思い切ったご提案だと思いました」。
どうもありがとうございます。論理的に考えていった結果、今までの常識とは違うエネルギー利用のシナリオとなりました。
「風力発電の場合、大型風車の方が小型風車のものよりも、建設・解体まで含めてもCO2換算での環境負荷は小さいとの話を聞いたことがあります」。
その計算は、以下の問題点があります。まず、CO2だけをテーマにしている。風力で発電することを前提としている。送変電施設の建設・運用・保守などの負荷の評価があいまい、という点です。
「山脇さんのお話ですと、負荷の計算などは、単一のものだけで評価するのでは不足で、ランドシャフトのようなものまで総合的に評価基準に加えた方がよいと言われているように感じました。そういうことでしょうか?」
その通りです。
いくら大きなエネルギーを得られても、きれいな風景を壊し、不気味な騒音を出し、渡り鳥などに危害を加えるなら、説得力は弱まります。
「私自身、負荷は総合的に評価することがよいと思っています。それならば、どういうことが評価軸に入ってくるのだろう? と、山脇さんのお考えを聞いておきたいと思いまして」。
おっしゃるように、私も多面的な評価が重要だと思います。環境負荷はクスリの副作用のようなものですから、できるだけ減らしたい。胃が荒れるだけが副作用ではなく、アレルギーが出たり、肝臓障害を起こしたり、ひどい場合は脳梗塞を招いたりします。ですから、あらゆるものを視野に入れておきたいです。
現状では、環境負荷というとCO2の排出量のことだと思っている人がたくさんいます。それは負荷の一部にすぎません。他にも、
*有機物質
*化学物質(有毒物質、環境ホルモンなど)
*放射線(高エネルギー線)
*ランドシャフト(目障り、騒音、振動、悪臭など)
*エコロジー(動植物へのプレッシャー)
*水・大気の循環阻害
*危険のリスク(遺伝子障害、爆発など)
などが思い浮かびます。
これらの負荷はその絶対量ばかりではなく、影響を及ぼす空間の広さと、持続する年月も考慮する必要があります。そういう観点で見ると、核エネルギーや遺伝子組み換えは大きな減点になります。
(スイスの山脇:54歳:入門「近自然学」筆者)
=筆者からのレス=
(donchan:27歳)さんのコメントに
「…という視点は、私も当初から重要な視点だと考えており、非常に共感しています。」
どうもありがとうございます。
「太陽光や風力といった再生可能エネルギーへの転換に対する『非現実的だ』という批判的意見は、現在のエネルギー供給・消費システムの中にそのまま当てはめようとしているものが大半です。やはり化石燃料に比べてエネルギー密度の低い再生可能エネルギーは、個別分散型のエネルギー需給システムの中で威力を発揮するものだと思います」。
全くその通りだと思います。
論理的に考えれば当然の帰結です。しかし、現状維持からスタートすると、変な方向へ行きがちです。それを主張する人の気持も分からないではないのですが…。
石油などのための集中システムを太陽エネルギー化するのではなく、それに平行して、太陽エネルギーの分散システムを追加していくシナリオが、もっともソフトランディングな手法だと思います。詳しくは次回の記事でお話します。
「これからは、この視点に立った議論がもっとなされるよう、考え方を普及させていく必要があると私も考えております」。
同感です。心強いご意見です。
これを実現するのは市民の力です。なぜなら、それは現在のエネルギー供給システムとは別系統になるので、エネルギー供給者やその研究者から提案されることはあり得ないからです。
(スイスの山脇:54歳:入門「近自然学」筆者)
=筆者からのレス=
(伊済津左次:57歳:たねや)さんのコメントに
「山脇さんがおっしゃる通り、人間だけの都合で何でもかんでも電気に替えないと気がすまない『先進文明国』の人たちは、私も含め、環境問題の何たるかをいまだに全身全霊で理解し得ていないように思います」。
そうかもしれませんね。
電気は便利ですからね。私自身、実は電気の、それも高電圧工学の研究者でしたから、電気の長所と欠点を知っています。何にでも電気を使うのは、うまいやり方とは言えませんし、電気に対して失礼です。
「冬に、太陽光発電によるオール電化の家の中で過ごすより、『日向ぼっこ』をしたり『おしくらまんじゅう』をしたりして体を温める方が、もっとロスの少ない、科学的にも効率的な方法だということを理解してほしいです」。
おしくらまんじゅうですか? いいですね。
我々は、いわゆる文化生活の基準に慣らされてしまいました。どの部屋も、また部屋中どこも同じ温度である必要性はありませんよね。暖炉のそばが暖かく、離れると寒いのは、もしかしたらそんなに悪いことではないかもしれません。
また、冬は日向が暖かく、日陰が寒い。反対に、夏は日陰が涼しく、日向が暑いのは自然なことですよね。そう考えると、冬は日光が差し込み、夏は遮断される家の建て方や樹木(落葉広葉樹)の配置を工夫すれば、エネルギー消費量を大幅に減らせます。また、冬は暖房時の室温を1度下げ、夏は、冷房時の室温を1度上げるだけで、エネルギー消費量は約半分に落ちます。要は、考え方であり、やり方なんですね。
「『パワー』で自然をねじ伏せようとするアクティブ・ソーラより『お天道様』のご機嫌に、無理をしてまで逆らおうとしないローテクのパッシブ・ソーラを優先すべきだと思います」。
同感です。
「これまで『地球にやさしい』などという言葉を何の疑問も抱かず使ってきた私たちは、こんどのスマトラ沖地震・津波で示された地球の一側面を目の当たりにして大いに考えを改める必要があるのではないでしょうか?」
確かに、「地球にやさしい」というコピーには快い響きがありますが、どうもマヤカシくさいような気がします。
(スイスの山脇:54歳:入門「近自然学」筆者)
|