さらに、交差点、横断歩道、村の入り口など、特に危険な場所では、島状の中央分離帯などによって道幅を狭める。つまり、ドライバーが危険だと感じる要素を実現するのである。危険な場所で減速するのは当然で、心理的なストレスを感じることなく減速または停止することができる。
木々を植栽するなどして見通しを悪くしたロータリーは、ドライバーにとっては危険要素なので、速度を落とすことが心理的な負担とならない。つまり当たり前になるのだ。これで重大事故が減ると共に、交差点内の速度が落ちて車間距離が小さくなる。すると道路の利用率が上がるので、多くのクルマを一度にさばけるようになる。
この手法により、恒常的な渋滞が解消した例が、スイス・ドイツには数多くある。ロータリーではUターンも自由自在で、停電で大混乱することもない。大変合理的なシステムと言えよう。
ドライバーの心理を尊重したり、交通弱者に配慮するのは、従来のクルマ主体の道づくりから人間主体の道づくりへの転換を意味する。そしてそれは、人間主体のまちづくり、国づくりでもある。
ドイツ語の「ランドシャフト」は、日本で最初「景観」と訳された。しかし、今日ではこの訳は不正確とされる。見た目だけのことではないからである。そこで「景域・風景・風土・情景」という表現も出てきた。この中では「情景」が最も的を射たものだろう。
正確には、我々が「五感と心」で感じるもののことを指す。風景の見た目はもちろん、風の音、若葉の香り、せせらぎの冷たさ、食べ物の旨さ、そして雄大な自然に接する感動……。
だから良いランドシャフトとは「気持ち良い」、「心地よい」、「快い」、「心が震える」ことと言うこともできよう。「気持ち良い」というと、快楽主義と受け取られるかもしれないが、そうではない。
人類の歴史の中で、我々の五感は危険を察知するセンサーとして発達してきた。我々の祖先にはこの優れた能力があったからこそ、多くの危機を乗り越えて、生き延びることができたのであろう。だから今、我々が存在するのである。そういうわけで、我々には、危険と安全を本能的に見分ける能力があると思われる。それが快感と不快感なのだ。
五感に違和感がある「不快な」状況には、そこに危険が潜んでいる可能性を我々が直感していると言えよう。逆に、五感に違和感がない「気持ち良い」状態は安全で生き延びる可能性が大きいわけだ。
このランドシャフト(気持ち良さ)がスイス・ドイツの道づくりや川づくりなどの土木工事では重視されている。そのためにプロジェクトには必ず景観工学家(日本では造園家に近い分野であろう)の参加が義務づけられているのである。
■スイスやドイツでは、ランドシャフト(気持ち良さ)が工事で重視されているとのことですが、もう少し具体的に知りたいと思います。
ある場所を気持ち良いと感じるかどうかは、多分に主観的なものと思います。それをどのように客観的に評価したり、工事に反映させているのでしょうか。プロジェクトにかかわる景観工学家の主観になってしまいませんか?
(天水樹)
■こうした情報をもっと流してほしい。
今は、信号が増えることはあっても減ることはない。
自転車道についても、歩道と一緒では双方が不便。
国中に自転車専用道があるドイツなどの情報も併せて、流してほしい。
(アミーゴ)
■「60km/時でコンスタントに走る」とのことでしたので、完全にコンスタントに走らせて、交通容量をフルに活用するのかと思っていました。しかし、ロータリーでスピードが落ちることを意図していますから、完全にコンスタントの意味ではないのですね。それでも完全に停止するのでなければ、交通容量はある程度確保できますから、有効な方法になると思います。
ただし、既存の交差点をロータリーにするには、都市部でなくても用地の確保に費用がかかりそうなのと、交通量が多いと歩行者との分離が必要になってくるのが気になりますが。
ランドシャフトの考え方は共感できます。これに関連あるかどうか分かりませんが、私は以下のことを考えています。
現在の日本ではかなりの密度で道路が整備されていますが、車が速度を落とさずにすれ違ったり、歩行者の安全を十分確保するには、幅が十分ではない道路がまだたくさんあります。対策として道路拡張や新道建設がこれまでに取られてきましたが、費用もかかるし環境破壊にもつながります。斜面を切り取る量が増えれば土砂崩れの危険も増すでしょう。
そこで、迂回路が確保できる個所については、できるだけ一方通行にしてはどうかと、私は思っています(川の両岸に同じような狭い道が通っているところなどは典型例になるでしょう)。
歩行者にとっては遠回りになるので、時間的にも肉体的にも苦痛ですが、車であれば渋滞がなければ所要時間がせいぜい数分伸びる程度で済むしょう(というか、そういう個所しか導入できないでしょうが)。エネルギー消費は増えるかもしれませんが、車がスムーズに流れるようになるのであれば、相殺可能ではないかと思います。
以上のことはいかがでしょうか。
(我々は何処へ行くのか)
■言われていることに共感します。私が住んでいたスウェーデンでも、速度を出せる場所と抑えるべき場所のメリハリがはっきりしていました。信号の無駄な待ち時間も無くなり、運転者/自転車・バイク/歩行者などのそれぞれ優しくストレスの無い状態でした。楽しい道つくりがうらやましいです。
日本人はラウンドアバウト(ランナバウト)が苦手と言いますが、すぐに慣れるし非常に合理的です。信号システムもなぜ“進んだ技術”の日本でできないのか不思議です。
(Kapi:42歳:研究開発)
■すみません、説明が不足していて誤解を生むところがあるので、訂正させてください。
>歩行者にとっては遠回りになるので、時間的にも肉体的にも苦痛ですが、
私の考えでも歩行者は一方通行にはしません。ここは、「もし歩行者に対してそれだけ遠回りをさせてしまったら、時間的にも肉体的にも大いに苦痛になってしまうところです。しかし、車であれば(渋滞がなければ)所要時間がせいぜい数分伸びる程度なので、大して苦痛には感じないでしょう」という意味です。
(我々は何処へ行くのか)
=筆者からのレス=
(天水樹)さんのコメントに
「スイスやドイツでは、ランドシャフト(気持ち良さ)が工事で重視されているとのことですが、もう少し具体的に知りたいと思います」。
少々補足説明させていただきます。
ランドシャフトは日本では理解されにくい概念かもしれません。見た目を意味する「景観」と訳されたことがその表れでしょう。実は、スイスやドイツでもその理解は人によって微妙な違いがあり、また、時代と共に変化もしています。私のお伝えしているのは、最先端の専門家のものとご理解ください。
ランドシャフトは我々人間が何かに接したときに感じるもののことです。ですから、良いランドシャフトは五感に違和感のない、気持の良いものとなります。次回以降の「新しいまちづくり」の章でもお話ししますが、スイスやドイツではこのランドシャフトを共有財産と考えるコンセンサスがあります。ですから、ランドシャフト保護の法律もありますし、ランドシャフト保護団体もあります。
例えば、ある人が所有する草原があるとします。そのランドシャフトは皆の共有財産ですから、所有者が勝手に変えることはできないのです。今、チューリッヒ近郊の保険会社が所有する農地をゴルフ場にしようという計画があり、住民と保護団体がランドシャフト保護を理由に訴訟を起こしています。多分、計画は潰れるでしょう。
ただし、日本でも似たような考えがないわけではありません。外をハダカで歩いてはいけないという法律があります。これなど、その考えの基盤は同じでしょう。
「ある場所を気持ち良いと感じるかどうかは、多分に主観的なものと思います。それをどのように客観的に評価したり、工事に反映させているのでしょうか。プロジェクトにかかわる景観工学家の主観になってしまいませんか?」
ご心配ごもっともです。
でも、よく考えてみてください。そもそも客観性って何でしょう? 主観とは独立して、または主観に対立して存在するものと定義されますね。または、万人に普遍的に存在するものという意味でもあり、これこそキリスト教に影響された近代西洋思想の産物と言えましょう。
しかしながら、客観的だと判断するのは我々の主観であり、この自己矛盾から逃れることはできません。科学的であることを客観性と定義する向きもありますが、これとて、定義した人の主観です。つまり、客観を絶対視することも一つの主観であり、我々が見たり、聞いたり、考えたり、測定したり、判定したり、評価したりする以上、我々の主観から逃れることはできないのですね。
そこで、本題に戻ります。
プロジェクトの景観工学家はランドシャフトを学んだプロです。個人としての考えや好みもあるでしょうし、同時に住民の間にある種の共通項があることも認識しています。その彼(彼女)がプロジェクトの対象となるランドシャフトをどう考え、どうするのがいちばん良いと考えるのかは、彼(彼女)に任されています。出来上がったものに対してランドシャフト保護団体や多くの住民が異議を唱えるなら、彼(彼女)は仕事を続けられないでしょう。
例えば、最近のチューリッヒ市内の公園は、都市ランドシャフトにふさわしいという意味で、とてもデザイン性の強いものになっています。賛否両論がありますが、反対意見が過半数というわけではありませんので、この路線は変わりません。正直言って私は個人的に違和感を感じます。しかし同時に、100年後には文化財として保護物件になるかもしれないという予感もあります。
つまり、プロジェクト・チームは自らの主観を前面に出して、それを世に問うということになります。そして、それはとても上手くいっています。
もちろん方便として、客観的、普遍的、科学的であることを使う可能性もあります。しかし、これとてどこかで必ず主観が入っているんですね。客観性は存在せず、あるのは多くの主観の共通項だと考えるのは間違いでしょうか?
(スイスの山脇:54歳:入門「近自然学」筆者)
=筆者からのレス=
(アミーゴ)さんのコメントに
「今は、信号が増えることはあっても減ることはない。自転車道についても、歩道と一緒では双方が不便」。
全くです。
この問題を解決するためには、建設者と管理者の間にコラボレーションが必要です。スイスでも、交差点をロータリー制御にするために「道交法」の改正が必要でした。死亡事故が減るということから、建設と警察は一丸になってこれに取り組んだんですね。
「こうした情報をもっと流してほしい。国中に自転車専用道があるドイツなどの情報も併せて、流してほしい」。
はい、できるだけのことはします。毎年春の数カ月は日本を講演して回りますが、なにぶんにも個人でできることには限界があります。どうしてもジャーナリズムのバックアップが必要です。今回の連載など、日経BP社の大英断に感謝したいと思います。
(スイスの山脇:54歳:入門「近自然学」筆者)
=筆者からのレス=
(我々は何処へ行くのか)さんのコメントに
「『60km/時でコンスタントに走る』とのことでしたので、完全にコンスタントに走らせて、交通容量をフルに活用するのかと思っていました。しかし、ロータリーでスピードが落ちることを意図していますから、完全にコンスタントの意味ではないのですね。それでも完全に停止するのでなければ、交通容量はある程度確保できますから、有効な方法になると思います。」
その通りですね。
交通容量を増やし、エミッションを減らすために、60km/hのコンスタントな走行が理想なのは事実です。しかし、理想をそのまま実現できるわけではありません。実践に際しては現場の様々な条件が入ってくるからです。都市部なのか郊外なのか、交差道路があるのか、住民や子どもたちの移動はどうなのか、周辺のランドシャフトはどうなのか、野生動物の移動路はどうなのか、予算はどうなのか、……これらのことを加味すると、交通容量最大を維持することは不可能に近いでしょうね。
ただし、予算の潤沢な自動車専用道路は別です。かなり理想に近づけます。もちろんそれだけ多くの予算もかかり、それに伴う環境負荷が増大することを覚悟しなくてはなりませんが。
「ただし、既存の交差点をロータリーにするには、都市部でなくても用地の確保に費用がかかりそうなのと、交通量が多いと歩行者との分離が必要になってくるのが気になりますが」。
的確なご指摘です。
土地の問題は、一般的にはその通りです。ただし、土地がないならないで、方策がないわけではありません。ロータリーにおけるクルマと歩行者・自転車の摩擦は難しい問題です。特に、クルマと自転車の軋轢は大問題です。完全分離が基本だと思いますが、どこでも実現できるわけではありません。今、スイスではいろいろな提案が出されています。しかし、どれもいま一つで、これからの課題です。
「迂回路が確保できる個所については、できるだけ一方通行にしてはどうかと、私は思っています(川の両岸に同じような狭い道が通っているところなどは典型例になるでしょう)」。
とても良いアイデアだと思います。
狭い道路は一方通行が原則でしょうね。裏道なら通り抜けをできなくすることが有効です。幅員を広げることは要注意です。クルマのスピードが自然に上りますから。
スイスでは自動車専用道路でも、幅員を狭める傾向にあります。スピードを落として、安全性と交通容量を上げ、エミッションを減らす配慮からです。また、都市部では車道を削って歩道を広げた事例がたくさんあります。
「もし歩行者に対してそれだけ遠回りをさせてしまったら、時間的にも肉体的にも大いに苦痛になってしまうところです。しかし、車であれば(渋滞がなければ)所要時間がせいぜい数分伸びる程度なので、大して苦痛には感じないでしょう」。
同感です。
人間主体の社会を取り戻すためにも、歩行者は上下左右に迂回させないのが原則です。道路横断地下道、歩道橋なども、歩行者にとってはイヤなものですよね。迂回させるならクルマの方です。その方が気持の良いまちとなります。クルマにとっては別に大きなデメリットとはなりません。
「エネルギー消費は増えるかもしれませんが、車がスムーズに流れるようになるのであれば、相殺可能ではないかと思います。」
確かにそうですね、
エネルギー消費は他のファクターも入りますので、迂回による増加分はほとんど現れないでしょう。それより、スムーズに流れることによるメリットの方がずっと大きいと思います。
(スイスの山脇:54歳:入門「近自然学」筆者)
=筆者からのレス=
(Kapi:42歳:研究開発)さんのコメントに
「言われていることに共感します」。
どうもありがとうございます。共感いただけうれしいです。
「私が住んでいたスウェーデンでも、速度を出せる場所と抑えるべき場所のメリハリがはっきりしていました」。
スウェーデンにお住いでしたか。スカンジナビア諸国に対して、スイスはとっても強いシンパシーを持っています。スウェーデンの道路事情は存じませんが、どうやら共通項があるようですね。
「信号の無駄な待ち時間も無くなり、運転者/自転車・バイク/歩行者などのそれぞれに優しくストレスの無い状態」
ドライバーの心理に配慮するのはとても大切です。そうすると運転が心理面でストレスフリーになり、安全で楽しい物になるからですね。
ドライバーの心理に配慮するいくつかの例を挙げます。
*信号のインターバルを短くする:ムリをした信号無視が激減する
*交差点のロータリー制御
*車道を狭める
*横断歩道では島状中央分離帯に木々を植えて幅員を狭める
*夜は暗くする
*場所により意識的に見通しを悪くする
などで、従来の日本では考えられないことでしょうね。
「日本人はラウンドアバウト(ランナバウト)が苦手と言いますが、すぐに慣れるし非常に合理的です」。
同感です。私も慣れの問題だと思います。ロータリー制御は、とっても単純で柔軟、合理的なシステムだと思います。実際に、大きな成果を上げています。
(スイスの山脇:54歳:入門「近自然学」筆者)
■面白い案だとは思います。ですが、人口対車両数比、国別人口密度比を棚に上げているので、日本では、用地費を無視してもこのような道づくりは難しい気がします。ただ、停電で信号が動作しないために、東京都内の全車両が安全運転になったという過去の事実があります。新宿や渋谷の交通信号を故意に停止してみる実験があるとすれば賛成します。
(匿名)
■議論の焦点となっている、交差点のロータリー化について。皆さんのコメントでは、日本で採用されないことへの不満などが議論となっています。しかし、実は、
1)日本の道路行政でも、数年前から交差点のロータリー化を推進しようとする動きがあります。緩やかではあるが日本でも進み出す方向にあります。国道交通省でも試みが始まっています。
参考:http://www.civiltec.co.jp/roadarena/rotary.html
2)一方、日本における交差点のロータリー化を妨げる理由は、いろいろです。土地を確保する際の費用の問題と住民の説得の困難さにあることも一因です。
土地に対する意識における、田分けをベースとした東洋人と、共有地をベースとしたアングロサクソンとの感覚の違いなども絡んでいると考えられます。
私も、スイスの道路についてのレポートを自身のホームページでアップしています。
それもご参照いただければと思います。
http://www.wakayama-u.ac.jp/~nakat/PDF/syunka_road.pdf
(あなぐま君:41歳:ML「近自然の広場」管理者 /大学)
=筆者からのレス=
(匿名)さんのコメントに
「人口対車両数比、国別人口密度比を棚に上げているので、日本では、用地費を無視してもこのような道づくりは難しい気がします」。
おっしゃること、よく分かります。従来の道づくりと大きく変わりますので、戸惑いが出るのかもしれません。しかし、「人口対車両数比」や「国別人口密度比」を忘れているわけでも、棚に上げているわけでもありません。
近自然学の提案は新しい原則論であり考え方です。近自然道路工法も実は新しい道づくりの考え方です。ただし、だからと言って単なる机上の空論ではなく、スイス・ドイツでは10年以上の実績を積んでいます。原則論では、具体的な現場の条件である「人口対車両数比」や「国別人口密度比」に配慮する必要はありません。また、配慮してはもう原則とは呼べません。
ある原則を実践する際には、当然、そのプロジェクトの対象とする場所の条件を加味しなければなりません。道路の目的、地形、気象、周辺のエコロジー、文化、国民性、法律、予算などです。ここでは、予想される交通量を視野に入れる必要があり、都市計画や交通計画上の条件を加味した上で、その地域の「人口対車両数比」がある種の情報を提供してくれる可能性もあります。しかし「国別人口密度比」という大きなくくりより、その地域の情報の方がずっと重要になるでしょう。同じ国の中でも人口密度や車両数は一律ではありませんから。
今回の連載では、みなさんの理解を助けるために具体的な事例をお見せしていますが、それはそのプロジェクトの条件から生まれたソリューションと形であって、一般論ではありません。どうか、この点、ご理解ください。
このようなご意見が出る背景は、「人口密度の高い市街地では難しい」というものかと想像します。確かに、現状では新しい道づくりは郊外に特化しているように見えます。しかし、市街地内でも同じ考えに基づいた道づくりが可能であり、その場合は別のソリューションと形となるでしょう。パリの凱旋門のロータリー制御は世界的に有名で、あのような12差路を信号機制御することは不可能ですし、無意味でしょう。
さらに言えば、車両密度の高い市街地こそ、クルマを単体で見ないでマッス(群れ、集合)としてとらえる新しい考えを導入すべきではないかと考えます。
「用地費を無視しても」土地が余計に必要であるのは、多くの場合、事実でしょう。しかしながら、土地がなければないで方法がないわけではありません。それはプロジェクトチームの姿勢と技量の問題です。スイスでも、元々の広い道路の中に、幅員を狭めて蛇行させた新しい道路を造った事例もありますし、元々の交差点内に小さなロータリーを造った例もあります。これらのプロジェクトでは、より広い土地は全く不必要でしたが、速度を抑えることや交通渋滞を解消する目的は立派に達成しています。
「停電で信号が動作しないために、東京都内の全車両が安全運転になったという過去の事実があります」。
これは興味深いお話です。都内で信号機が作動しない状況は恐ろしいですものね。
「新宿や渋谷の交通信号を故意に停止してみる実験があるとすれば賛成します」。
これは面白そうですが、同時に難しそうです。信号機制御を前提とした交差点の信号を止めるのでは、確かにドライバーは注意をするでしょうが、交通の流れは滞ってカオスとなることは目に見えています。
いずれにしても、新しい道づくりは始まったばかりです。これを叩き台として、より良い交通システム、道路システムを皆さんとディスカッションしていきたいと思います。
(スイスの山脇:54歳:入門「近自然学」筆者)
=筆者からのレス=
(あなぐま君:41歳:ML「近自然の広場」管理者 /大学)さんのコメントに
「1)日本の道路行政でも、数年前から交差点のロータリー化を推進しようとする動きがあります。緩やかではあるが日本でも進み出す方向にあります。国道交通省でも試みが始まっています」。
情報どうもありがとうございました。知らない間に、日本でもロータリー制御が少しずつ実現していたんですね。私自身、チューリッヒで日本の行政マンやエンジニアを対象とした近自然学セミナーを、また日本では講演会を続けており、多くの方々に新しい道づくりなどをご紹介しています。現場の方々の反応は大変良いですので、いつか大きく変わる可能性を予感しています。
「2)一方、日本における交差点のロータリー化を妨げる理由は、いろいろです。土地を確保する際の費用の問題と住民の説得の困難さにあることも一因です」。
その通りだと思います。ですから、実現できるところからやればいいんですね。条件がうまく合う場所は必ずあります。例えばロータリー制御がコストアップにならないプロジェクトも当然考えられると思います。
「土地に対する意識における、田分けをベースとした東洋人と、共有地をベースとしたアングロサクソンとの感覚の違いなども絡んでいると考えられます」。
そういうことがあるのかもしれません。歴史はよく分かりませんが、日本人が土地を共有物とは考えないようになったのは意外に新しいのではないかとも想像します。実際はどうなんでしょうか?
「私も、スイスの道路についてのレポートを自身のホームページでアップしています。それもご参照いただければと思います」。
レポート読ませていただきました。とても興味深い内容だと思います。どうもありがとうございました。
(スイスの山脇:54歳:入門「近自然学」筆者)