全世界で毎年50万人以上が交通事故で死亡し、1500万人以上が身体障害を受けていると言われる。しかもこの数字は増加し続けている。また、排気ガス、騒音、振動、粉塵、悪臭、熱、電磁波など、クルマに起因するエミッションや環境負荷は決して小さくない。さらには、都市部や幹線道路を中心とした交通マヒは日常化していると言えよう。
ドライバーの年齢が55歳までの交通事故原因は「スピードの出し過ぎ」が圧倒的に多い。年齢と共に次第に減少してくるが、これを「歳と共に理性的になる」と解釈するのか、「スピード狂が淘汰された」結果と見るべきか? いずれにしても、若いときに死んでしまえばお終いである。また生き延びても身体に障害が残るなど一生苦しむ危険性も大きい。逆に年をとるにつれて急激に増えてくるのが「優先無視」である。これらは、なんとしても解決しなければならない問題であろう。
今までの道路設計者も、手をこまぬいていたわけではない。様々な対策を立て、危険要素を排除してきたのである。ただし、良い結果が出なかったことは認めざるを得ないのではないか?
排気ガス、騒音、振動、粉塵、悪臭などのエミッションを減らすためにはクルマを走らせなければよいのは自明だ。どうしても走らせるのであれば、最もエネルギー効率が良く、エミッションの少ない状態で走らせたい。それは、燃費が良いのと同義である。今のクルマは、約50〜60km/hでコンスタントにスムースに走ると、最も燃費が良い。つまり、同じ距離を走っても、排気ガスの排出が最も少ない。
交通マヒの原因は、道路施設に対して交通量が多すぎるのがまず1点。絶対量の問題と言ってもよいだろう。2点目は、道路システムの効率の問題。従来の道づくりは路上にクルマがそれほど多くなかったころに確立したため、1台のクルマの振る舞いを主に考えている。しかし、多くのクルマが同時に路上を走る場合、1台の場合とは全く違った振る舞いをする可能性がある。
●日本の交通容量 クルマの流れを見るために「交通容量」という概念がある。1車線1時間にどれくらいのクルマが流れることができるかを見るものである。日本の道路管理では、クルマのスピードに関係なく、1車線1時間あたり2200台という固定値で考えている。この場合、多くのクルマを流すためにはレーンの増設しか手がない。しかしこれは、クルマのスピードと車間距離が比例するという、非現実的な前提条件によっている。
実際には、交通容量は、クルマの速度によって異なってくる。ノロノロ運転をしても、車間距離を数センチに狭められるわけではないので、たくさんのクルマを流すことはできない。高速運転では制動距離が速度の2乗に比例して長くなり、安全確保のために大きな車間距離が必要となる。つまり、低速でも高速でも「交通容量」は落ちるのだ。しかし、どこかに最もたくさんのクルマを流せるピーク(山)ができる。
●スイスの交通容量 スイスで実測した結果、一般道路では約60km/時、アウトバーン(高速道路)では約80km/時にピークができることが分かった。つまり、一般道路では時速60kmでコンスタントに走らせると、同じ道路であっても最も多くのクルマを流すことができるのである。
また、赤信号でクルマの流れを完全に止める、青信号で発進加速する、ことを繰り返すと、クルマの流れに粗密が生じる。これがいわゆる「アコーディオン効果」であり、交通容量を落とす大きな原因となる。
「アコーディオン効果」とは、アコーディオンのヒダヒダが延びたり縮んだりするように、クルマがある場所では密集して渋滞し、その先の場所では加速してバラバラに広がることをいう。同じ道路でたくさんのクルマを流したいなら、この「アコーディオン効果」が起こらないように配慮しなければならない。信号機はそれを引き起こす大きな原因となる。
道路整備が進んで走りやすくなり、さらにクルマの性能も年々上るのに伴い、運転が単調でつまらなく眠気を誘うことが多くなった。道路設計で危険要素を丁寧に取り除いた結果、ドライバーは危険を感じることがなくなり、緊張感を失ってしまったのだ。
元々クルマの運転は危険なものである。であるにもかかわらず緊張感を失うのは逆に危ない。だから危険要素をすべて取り除くのは、ドライバーが人間であることを忘れた結果と言えるかもしれない。
どうやら約60km/時でコンスタントに走ることが、交通事故、エミッション、そして交通マヒなどの問題を解決することになるようだ。全世界で速度規制が実施されている。しかし、交通事故やエミッション、交通渋滞などの諸問題は中々解決しない。
道路そのものは高速で走れるように設計しておいて、速度規制の看板で制御しようというのは、ドライバーの心理を無視したものとも言えよう。守れない者が出て効果が上がらないのも止むを得ない。こうした制御はハッキリ言って、根本的には何も変わらない「ハシゴ段のつぎ足し」ではないのか?
■・路上駐車の全面禁止(本当の禁止)とキープレフトの徹底(右車線をトロトロ走って後続車をブロックするな!!)だけで、かななり流れはスムーズになると思います。
・交通弱者、特にお年寄りのルール無視が目立ちます。何とかならないでしょうか。
・歩行者の年齢別死亡率で高齢者が高いのは、単に、同じ事故でも年を取っているので死ぬことが多いという可能性はありませんか?
・軽い緊張感という意味では、オートマよりマニュアルの方が安全そうですが、そのあたりの統計はないのですか?
(snark:40歳:ソフト屋さん)
■こんばんは。
前回の「曲がった道」の話と関連するのでしょう。高速走行が可能な直線道路には、事故の危険があるとのこと。しかも、速いハズなのに、実際には渋滞を引き起こしかねないとのこと。
「なるほど」という思いです。高速走行が可能な直線道路は、動物との事故(=ロードキル)も引き起こしやすくなります。生態保護の面からも回避したいことですし、なにより、自動車としても危険でしょう。
回避方法としては、フェンスの利用が考えられます。隣接したビオトープと道路をフェンスで分離し、動物が道路に紛れ込むことを防いだりします。日本の道路を見ていると、ただしフェンスの長さが不十分だったり、フェンスがエコ・ネットワークを過剰に分断するものも少なくないようです。また、フェンスで区切ったところで、鳥や昆虫の道路への迷い込みは防げないと思います。スイスでは、そこまでは厳密にすることはありませんか?
私は、走行速度を下げると、ロードキルも全体的に減ると考えています。それでいて、時間距離を短くできる考え方はありますか?
一方、日本では、山間部の曲がりくねった道におけるロードキルが非常に目立ちます。スイスではどうですか? カーブを曲がったところで急に動物を確認して、60キロ/時では、瞬時にロードキル避けることはできないようにも思うのですが・・
(あなぐま君:41歳:ML「近自然の広場」管理者 /大学)
■「一般道路60km/時、高速道路80km/時でコンスタントに走る」ことと、「ドライバーに軽い危機感・緊張感を与える設計とする」ことは、両立が難しいと思います。具体策は次回に示されるのでしょうか?
また、今後の道づくりにおいては、建設コストの問題も避けられないでしょう。日本もスイスの山の多い国土です。そこで、あまりコストをかけずに、環境に優しく、災害には強い道を作ることは難しそうですね。
いずれにしても、「道路そのものは高速で走れるように設計しておいて、速度規制の看板で制御」する(まだ実際には何キロに制限するのか分かりませんが)第二東名のようなものを莫大なコストをかけて建設するのは、早急に考え直してもらいたいものです。
(我々は何処へ行くのか)
■交通弱者対策として、クルマと弱者の分離が提案されています。しかし、これは土地に余裕がないとできない方法ですね。例えば沖縄県の西表島では、交通弱者である山猫の交通事故が増えて問題になっていると聞きます。また、車にはねられた蝶が路上でバタバタもがいているのを見るたび胸が痛みます。このような狭い島ではクルマと交通弱者である野生動物とを分離するのは不可能で、クルマのスピードを落とさせる工夫がどうしても必要だと思います。
(天水樹)
■毎週、新鮮な考え方、楽しく拝読させていただいております。今回、お尋ねしたいことが出てまいりましたので、お答えいただけましたら幸いです。
スイスも日本と同じように、山が多く土地面積の狭い国と存じます。新しく道を作る場合、やはり山や森を削らなくてはいけない場合があるかと思います。日本では土地を買収するまでに、大変長い時間とお金がかかり、道の変更は容易ではありません。多分スイスでも同じかと思います。
その際、自然を守りつつ、道を作る。という場合、どのようにされているのでしょうか?
配慮する視点、方法、計画段階または道路工事で配慮されること、など。よろしくお願い致します。
(ライオン)
■日常生活における車は何のためのものなのか?を考えたとき、将来的には、無謀運転のできない電子制御を搭載した車のみしか公道を走れない法規制が登場し、事故が激減する世の中になるでしょう。
利益追求を目的とする各車メーカーのモラルに任せていても難しいことで、国が音頭を取り、システム開発を推進させていくべきであると思います。
今は、公道を使い、個々が好き勝手に自己中心的に、車の利便性を供与されている段階であると思います。
車の犠牲となって亡くなられた多くの方々のご冥福をお祈り申し上げます。
(世界市民:47歳:車を使う営業マン)
■高圧ポンプを販売しているものです。交通は水の流れに似たところがあります。
直管の中を通るときも抵抗(圧力損失)はあるのですが、カーブではより顕著になります。
配管内部にスケールがたままったりして管路が狭くなると、ポンプ側では圧力がたっていても、先の方では十分な流量が得られず、結果圧力が出なくなってしまいます。
これは道路の交通でも似たようなものだと思います。
しかし人間には心があり、水の様にただ流れることはありません。
退屈から来る眠気を問題にされていますが、これからは楽しみから来るよそ見が大きな問題になるでしょう。
もうすぐ運転中の仕様に罰則が加わる携帯電話は、通話だけが用途ではなく、メールの送受信をしたり、ゲームをしたり、音楽をダウンロードしたり、スケジュールを確認したり、さらに放送電波を受信してテレビも見られまる、とその用途は増加の一途をたどっています。
またカーナビに使用されているディスプレイも、DVDを鑑賞したりテレビを見たり、携帯と同じく用途が増えてきます。さらにノートパソコンを横に置いて・・・。
これじゃ運転どころじゃありません。
事故回避のシステムにも気付かない可能性だってあります。
人間は「小事を気にせず流れる水のごとく」という方向には進歩しないようです。
自動運行システムの実用化を待つしかないようですね。
(豚骨大魔王:42歳:自営業)
■=筆者からのレス=
(snark:40歳:ソフト屋さん)さんのコメントに
「・路上駐車の全面禁止(本当の禁止)とキープレフトの徹底(右車線をトロトロ走って後続車をブロックするな!!)だけで、かななり流れはスムーズになると思います」。
これはその通りですね。でも、問題点もあります。
まず、成功が交通マナーに依存することです。
二つ目は、その先の信号で止められるため、交通容量を低下させる大きな要因であるいわゆる「アコーデオン効果」はなくなりませんね。エミッションを減らし、交通容量を落とさないためには、完全停止と加速を避けるハードとソフトの仕組みが必要です。
「・交通弱者、特にお年寄りのルール無視が目立ちます。何とかならないでしょうか」。
抜本的な解決は完全分離しかないでしょうね。
人間は年齢と共に判断力が鈍りますから、それがルール無視と映るのだと思います。今の社会はクルマ優先なので、それが人優先になれば、高齢者の判断力低下も大きな問題とはならなくなるでしょう。まあ、これは道づくりだけのテーマとは言えませんが。
「・歩行者の年齢別死亡率で高齢者が高いのは、単に、同じ事故でも年を取っているので死ぬことが多いという可能性はありませんか?」
なるほど。そういう視点がありましたか。私はデータを持っていませんが、それだけではないような気がします。というのはマイカーの事故件数で高齢者の優先無視の増加が明瞭だからです。
「・軽い緊張感という意味では、オートマよりマニュアルの方が安全そうですが、そのあたりの統計はないのですか?」
スイス・ドイツではいまだにマニュアルシフトが過半数です。でもデータはないように思います。
(スイスの山脇:54歳:入門「近自然学」筆者)
■=筆者からのレス=
(あなぐま君:41歳:ML「近自然の広場」管理者 /大学)さんのコメントに
「高速走行が可能な直線道路には、事故の危険があるとのこと。しかも、速いハズなのに、実際には渋滞を引き起こしかねないとのこと。「なるほど」という思いです。」
ありがとうございます。
「高速走行が可能な直線道路は、動物との事故(=ロードキル)も引き起こしやすくなります。生態保護の面からも回避したいことですし、なにより、自動車としても危険でしょう」。
その通りです。
スイスで多いロードキルは、犬猫を別とすれば、ノロジカ、イノシシ、オオジカ、キツネ、アナグマ、ハリネズミ、そしてカエルでしょう。このうち、ノロジカ、イノシシ、オオジカは体重もありますし、高速で衝突すれば、クルマは確実に大破します。
「回避方法としては、フェンスの利用が考えられます。・・・フェンスの長さが不十分だったり、フェンスがエコ・ネットワークを過剰に分断するものも少なくないようです。また、フェンスで区切ったところで、鳥や昆虫の道路への迷い込みは防げないと思います。スイスでは、そこまでは厳密にすることはありませんか?」
フェンスだけでロードキルを完全になくすことはできませんね。イノシシはフェンスを突き破ることが分かっていますし。
スイスでの解決策は、遠回りなようですが、まず野生動物の移動の調査から始めました。現在、スイス全土の調査を終えており、大型野生動物の主なコリドー(移動路)が地図になって公表されています。道路がこのコリドーを分断するなら何らかの手当てが必要になります。何もしなければロードキルが多発しますし、フェンスを立てれば野生動物の移動を妨げることになります。
一般道路なら、ドライバーへの警告の標識や赤い反射板(ヘッドライトが反射する)の設置で野生動物とドライバーの両者に注意を促します。スピードが自然に落ちるような道路構造も有効です。
高速道路の場合は、オーバーブリッジの建設が一般的です。つまり、野生動物が今まで通り生活できるように移動路を修復するわけです。このオーバーブリッジは最低50mの幅が必要で、普通は100m以上あります。それは野生動物に確実に利用してもらうためです。そしてもう一つ大事なのは、このオーバーブリッジ以外をフェンスで完全に覆うことです。
カエルなどの場合は、特殊なアンダーパスの有効性が確かめられています。
そういう努力をしてもロードキルを根絶することはできません。最も抜本的な対策は、的確なゾーニングでしょうか。野生動物たちにとって居心地の良い場所を確保し、そこへは人間やクルマが入り込まない配慮ですね。
「私は、走行速度を下げると、ロードキルも全体的に減ると考えています。それでいて、時間距離を短くできる考え方はありますか?」
全く正鵠を射たお考えです。
クルマの制動距離は運動エネルギーに比例して長くなり、その運動エネルギーは速度の2乗で増加します。つまり、スピードをちょっと下げるだけで、ずっと止まりやすくなるわけです。ですから、早く目的地に着きたいという希望との妥協点が見付けられるのではないかと思います。一般道路は時速60kmで走行すると交通容量が最も増え、従って、最も多くのクルマを迅速に流すことが可能となります。
「近自然学」ではそのような道づくりを次回に提案します。野生動物の移動路にさしかかったら、その目標値を時速50kmまたは40kmあたりに落とす設計にするのも一案でしょう。幹線道路で交通量が多く、しかも野生動物にとって重要なコリドーならば、道路にふたをしてしまうこともあり得ます。
「一方、日本では、山間部の曲がりくねった道におけるロードキルが非常に目立ちます。スイスではどうですか? カーブを曲がったところで急に動物を確認して、60キロ/時では、瞬時にロードキル避けることはできないようにも思うのですが・・」
その通りだと思います。
これは解決が難しい問題だと思います。一般的に、ロードキルは薄暮から夜間に起こることが多く、それがまたドライバーの反応を遅らせます。野生動物には一定の行動パターンがあって、テリトリーや移動路が決まっているようです。その周辺に前述した赤色反射板をたくさん設置して、動物とドライバーの双方に注意を喚起する方策は、スイスではかなりの効果を上げています。また、道路を改造できるなら、カーブの手前に島状の中央分離帯を設けて幅員を狭めると、クルマのスピードが確実に落ち、ロードキルを回避しやすくなるでしょう。
(スイスの山脇:54歳:入門「近自然学」筆者)
■=筆者からのレス=
(我々は何処へ行くのか)さんのコメントに
「「一般道路60km/時、高速道路80km/時でコンスタントに走る」ことと、「ドライバーに軽い危機感・緊張感を与える設計とする」ことは、両立が難しいと思います。具体策は次回に示されるのでしょうか?」。
その通りです。紙芝居みたいで、次回のお楽しみになってしまいました。ごめんなさい。
「また、今後の道づくりにおいては、建設コストの問題も避けられないでしょう。日本もスイスの山の多い国土です。そこで、あまりコストをかけずに、環境に優しく、災害には強い道を作ることは難しそうですね。」
これは難しい課題を頂きました。でも、全くその通りですね。これも次回をお読みいただきたいのですが、「近自然学」の提案する道は単純で安上がりでもあると言えるでしょう。
「「道路そのものは高速で走れるように設計しておいて、速度規制の看板で制御」する第二東名のようなものを莫大なコストをかけて建設するのは、早急に考え直してもらいたいものです」。
同感です。
そのような道づくりは、ドライバーが人間であることを忘れているとしか思えません。まさか、将来「ITS」化されることを見越しての設計ではないでしょう? 新しい道は、今の日本が目指す高規格道路(高速走行可能な道)とは対極になるかもしれません。
それに、いつまでも膨大な物流と人の移動をしていてよいのかという根源的な疑問もありますね。
(スイスの山脇:54歳:入門「近自然学」筆者)
■=筆者からのレス=
(天水樹)さんのコメントに
「交通弱者対策として、クルマと弱者の分離が提案されています。しかし、これは土地に余裕がないとできない方法ですね」。
そうですね。一般的にはそうとも言えます。
しかしながら「近自然学」が目指す社会は「人が主体の社会」ですから、クルマと人の分離はどうしても必要になるでしょう。人が主役のまちにクルマが入ってくる場合は、お客様ですから、主である人の都合にクルマが合わすことになります。
また、野生動植物が主の場所もあるでしょう。そこでは、動植物の都合にクルマや人が合わすことになりますね。
「例えば沖縄県の西表島では、交通弱者である山猫の交通事故が増えて問題になっていると聞きます」。
スイスでは一度絶滅したオオヤマネコを復活させました。そのテリトリーは広く、特に行動範囲の広いオスの場合のそれは人間の生活圏とオーバーラップします。このオオヤマネコの行動パターンは野生動物の研究者がかなり把握しています。そうすると、ある程度の対策も立てることができます。
イリオモテヤマネコの研究はどの程度進んでいて、研究者がどの程度把握しているのでしょうか? もし、かなり把握している研究者がおられるなら、その方に対策を聞くのがいちばんでしょう。なんらかのアイデアをお持ちだと想像します。そして、道づくりのハード面でのバックアップが必要であるなら、「近自然学」の提案する新しい道づくりがお役に立てるかもしれません。
「また、車にはねられた蝶が路上でバタバタもがいているのを見るたび胸が痛みます。このような狭い島ではクルマと交通弱者である野生動物とを分離するのは不可能で、クルマのスピードを落とさせる工夫がどうしても必要だと思います」。
私も同意見です。
クルマのスピードを自然に落とさせる方法は、次回にお話します。ドライバーの心理に配慮しないと、スピードを落とすことが欲求不満になり、どこかにはけ口を求めることになります。つまりアクセルを踏んでの急加速などですね。
また、どこに道路を通すのかも重要です。自然との軋轢をできるだけ減らすために多少遠回りになっても、小さな島ですから、時間的には大きな差は出ないのではないでしょうか。
(スイスの山脇:54歳:入門「近自然学」筆者)
■=筆者からのレス=
(ライオン)さんのコメントに
「毎週、新鮮な考え方、楽しく拝読させていただいております」。
どうもありがとうございます。
「日本では土地を買収するまでに、大変長い時間とお金がかかり、道の変更は容易ではありません。多分スイスでも同じかと思います」。
その通りです。土地買収に手間取ったり、保護団体との法廷闘争で、着工できない道路建設計画がたくさんあります。でも、議論を尽くすという意味からは悪いことではないと思います。また急がないことにより、不要になる道路計画も出て来るでしょうし・・・
「その際、自然を守りつつ、道を作る。という場合、どのようにされているのでしょうか? 配慮する視点、方法、計画段階または道路工事で配慮されること、など。よろしくお願い致します」。
かなり核心的なご質問ですので、ちょっと長くなります。ご容赦ください。
ご承知かもしれませんが、スイスは半直接民主制の国です。大きな案件や予算は住民投票で決めます。ですから、住民の同意が得られない計画は予算の承認がとれません。この点をまず頭に置いておいてください。
道路建設だけの問題ではありませんが、スイス(ドイツも)には空間計画という土地利用計画がまずあります。そしてその変更は、住民投票によりその可否を問います。道路もこの中に書き込まれますので、新しい道路計画はこの空間計画の変更から始めなくてはなりません。
それが通ったとすると、今度は具体的なプロジェクトを起ち上げることになります。計画を練って予算を出し、住民投票に掛けることになります。問題の多い道路建設では2回拒否されてそのつど内容を変更し、3回目でようやく通った例もあります。これらで明らかになったのは、スイスの住民は「環境配慮」と「低コスト」を求めていることです。
実はこの2点は密接な関係があります。「環境配慮」というと「高コスト」と思われがちですが、コストはエネルギー投入量と深い関係があり、環境負荷の指標とも言えます。ですから、「低コスト」は「環境配慮」とも言えるわけです。
「環境配慮」のための手法はすでに確立されています。それが、「環境アセスメント(影響評価)」と「ミティゲーション(環境破壊緩和)」です。ここでこれらについて詳しくご説明することはできませんが、一言で言えば、道路建設などが自然環境に与える影響を調査して評価し、それができるだけ自然環境にダメージを与えないようにすることです。
極端な場合は「建設中止」もあり得ますし、その実例もあります。ミティゲーションによりコストがあまりに上ってしまい、建設を断念するような場合です。スイス国内に建設が計画されたディズニーランドが撤退したのはその1例です。
「低コスト」は規模の縮小が大きく効きます。道路であれば、4車線道路を2車線道路に縮小するなどです。そしてそれはミティゲーション手法の一つでもあり、コストと同時に環境負荷を減らすことにもなります。
新しい道づくりでは、道路としての機能性を最大限高めます。つまり、多くのクルマを迅速に移動させることです。と同時に、事故を減らし、排ガスなどのエミッションを減らし、運転していて気持の良い道を実現します。さらには、野生動物などにできるだけ悪影響を与えないように配慮します。これは彼らの生息空間に近付かない、コリドー(通り道)と並走しない、コリドーを分断しないなどです。
(スイスの山脇:54歳:入門「近自然学」筆者)
■アメリカを旅行して、大変良いアイデアだと思ったことがあります。それは複数人が乗った車のみの優先車線です。現在、日本で走っている車に乗車している人数の平均値を知りませんが、日ごろ走っている車に乗っている人の数をみていますと平均は1.5人を切っているのではないでしょうか。
一つの提案ですが、次のアイデアを皆さんで議論してみてください。複数人乗車の車しか認めない優先路線を持った道路区間をできるだけ多く設けるとか、それがきつすぎるなら、1人乗りの車からは特別料金を徴収する、または有料道路料金を2倍に増やす制度を導入すれば、混雑緩和と環境負荷の低減の一挙両得にはなりませんかね。
(黒髪翁:72歳:コンサルタント)
■交通弱者対策について、もう少し詳しく伺いたいと思います。
幹線道路の容量が絶対的に不足しているためもあるでしょうが、「抜け道」という言葉もある通り、路地から小道などあらゆる道路に自動車が入り込んでいます。そこで暮らす人たちが、安心して歩いたり立ち話をしたりする環境は取り戻せるのでしょうか?
私が子供ころはもっと車が少なくて、道路が近所の子供たちとの大事な遊び場だった記憶があります。
(isu:31歳:会社員)
■スイスの事例を興味深く拝見しました。日本で似たようなことができない理由をつらつら考えてみると、官の愚民化政策とかいろいろあるのでしょうが、結局は国民の意識レベルの低さに帰結するように思えます。
個々には高い意識の方もいらっしゃるでしょう(特にこのコラムを読んでいるような方は、その時点で意識の高い部類に該当すると思います)。しかし、国民全員の平均としてはスイスのそれよりも低いのではないかと。
これを何とか改善せねば、おっしゃるような世界に近づくことはかなり非現実的でしょう。
「国民の意識の高さに依存する」という点で、このコラムの主題そのものが「マナーに依存する」と思います。その意味で、上の読者コメントへのコメントで、「(渋滞解消の)成功がマナーに依存する」ことを問題点として指摘されているのには、違和感を禁じ得ません。
このコラムの主題はシステム工学(というと意味が狭いか?)的な観点から社会インフラのあり方を見直そうというものなのでしょうが、「見直しが必要だよね」という合意を、国民の間にいかに形成するかについても扱っていただければと思います。
(ZED:35歳:電子機器製造)
=筆者からのレス=
(世界市民:47歳:車を使う営業マン)さんのコメントに
「将来的には、無謀運転のできない電子制御を搭載した車のみしか公道を走れない法規制が登場し、事故が激減する世の中になるでしょう」。
なるほど。それも我々の描く未来像の一つだと思います。「ITS」と呼ばれる、そのためのテクノロジーの開発も急ピッチで進んでいます。しかし、このインフラ整備には大変な投資が必要となると予想されます。そしてそれを支払わなければならないのは我々です。それが意味のある投資なのか、という疑問が残ります。それは、我々の豊かさを維持しながら環境負荷を低減しようとすれば、今の交通システムは抜本的に変革せざるを得ず、新しい交通システムにおいてのクルマの役割は今とは大きく変わる可能性が大きいからです。
私個人は、クルマは、都市部などを除いて、ドライブを楽しむ趣味の物となるように予想しています。それは、加害者負担原則を具現した「環境負荷ペナルティー」を加算したガソリン価格が今のおよそ6から7倍になる可能性があるからです。
そうなったときには、ハイテクの「ITS」は都市部などを除いてあまり大きな意味を持たなくなり、大きな投資がほとんどムダになる可能性もあります。いずれにしても、クルマの交通量は大幅に減るはずです。
そして、もう一点、我々が考えなければならないことがあります。それは、人間が自らできることは機械に頼らないということです。機械やハイテクのサポートがどうしても必要な部分もあります。しかし、何でもかんでも機械化して電化してマイコン制御するのは、いかがなものでしょうか? 我々人間はもっともっと、自らの頭を使い、手を使い、足を使い、身体を使いたい。それが素朴で、しかし深い歓びをもたらしてくれるように思います。
ボタンを押せば目的地に自動的に着けるシステムが、我々の人生の質を高めてくれるのかどうか? 「イエス」というコンセンサスが得られるなら、多額のインフラ投資と環境負荷、さらには電気に依存するというリスクを負っても実現すればよいでしょう。
システムは単純なほど強靱になります。テクノロジーの進歩がシステムを複雑化へ向かわせたことに対して、警鐘を鳴らしておきたいと思います。
「車の犠牲となって亡くなられた多くの方々のご冥福をお祈り申し上げます」。
全く胸が締めつけられる思いがします。
(スイスの山脇:54歳:入門「近自然学」筆者)
=筆者からのレス=
(豚骨大魔王:42歳:自営業)さんのコメントに
「交通は水の流れに似たところがあります。直管の中を通るときも抵抗(圧力損失)はあるのですが、カーブではより顕著になります。配管内部にスケールがたままったりして管路が狭くなると、ポンプ側では圧力がたっていても、先の方では十分な流量が得られず、結果圧力が出なくなってしまいます」。
とても興味深い例えですね。実は「近自然学」の提案する新しい道づくりでは、このカーブでの抵抗も利用してクルマの流れを制御しています(詳しくは次回の連載でお話します)。
「しかし人間には心があり、水のようにただ流れることはありません。」
そうなんです。だからこそ、新しい視点が必要です。人間の心理を無視したシステムはうまく機能しません。そこで二つの選択肢に別れます。一つは、心のない機械にやらせること。もう一つは人間の心理に配慮することです。
「携帯電話は、通話だけが用途ではなく、メールの送受信をしたり、ゲームをしたり、音楽をダウンロードしたり、スケジュールを確認したり、さらに放送電波を受信してテレビも見られる、とその用途は増加の一途をたどっています。またカーナビに使用されているディスプレイも、DVDを鑑賞したりテレビを見たり、携帯と同じく用途が増えてきます。さらにノートパソコンを横に置いて・・・。これじゃ運転どころじゃありません」。
全くひどい話です。
しかし、これは緊張感がなくなり、運転が退屈だからこその結果とは言えないでしょうか? ドライブそのものが楽しければ、こんなことにはなりませんね。生死がかかってる行為の最中に、横でテレビをつけるバカ者はいませんからね。
「人間は『小事を気にせず流れる水のごとく』という方向には進歩しないようです。自動運行システムの実用化を待つしかないようですね」。
そうなるかもしれませんが、私はそれだけですべてが解決するという考えではありません。詳しくは(世界市民:47歳:車を使う営業マン)さんのコメントへのレスで上述しましたので、ご参照ください。
最終的にどうするのかは、我々が決めることです。解決策の右往左往を避けて失敗のリスクを減らすために、まず、未来の人類の生活のヴィジョンを描き、そのための交通システムのあるべき姿を描き、そこにおけるクルマの役割を考えるという手順を踏むのがよいでしょう。つまり、着地点を設定して、そこから逆戻りして今やるべきことを決めるという、バックキャスト手法ですね。
今の交通システムにおけるクルマの問題点を解決することから始めるのでは、間違った方角へ行く危険性をはらんでいると言えましょう。
(スイスの山脇:54歳:入門「近自然学」筆者)
=筆者からのレス=
(黒髪翁:72歳:コンサルタント)さんのコメントに
「アメリカを旅行して、大変良いアイデアだと思ったことがあります。それは複数人が乗った車のみの優先車線です」。
面白いアイデアですね。
「現在、日本で走っている車に乗車している人数の平均値を知りませんが、日ごろ走っている車に乗っている人の数をみていますと平均は1.5人を切っているのではないでしょうか」。
スイスでは平均1.2人です。つまり、ほとんどのクルマは1人しか乗っていないことになります。
「複数人乗車の車しか認めない優先路線を持った道路区間をできるだけ多く設けるとか、それがきつすぎるなら、1人乗りの車からは特別料金を徴収する、または有料道路料金を2倍に増やす制度を導入すれば、混雑緩和と環境負荷の低減の一挙両得にはなりませんかね」。
確かに有効なアイデアのように感じますが、問題点もあります。このシステムの導入は、クルマの利用を奨励する結果になるというマイナス面が指摘されているのです。つまり、本来なら公共交通を利用していたはずの人が、クルマに同乗することになり兼ねないというわけです。
理想は、不要なクルマの利用を抑えることですから、これでは逆効果になってしいまいますよね。
(スイスの山脇:54歳:入門「近自然学」筆者)
=筆者からのレス=
(isu:31歳:会社員)さんのコメントに
「幹線道路の容量が絶対的に不足しているためもあるでしょうが、『抜け道』という言葉もある通り、路地から小道などあらゆる道路に自動車が入り込んでいます。そこで暮らす人たちが、安心して歩いたり立ち話をしたりする環境は取り戻せるのでしょうか?」
できます。裏道はそこに住む人たちの物と割り切れば、対策はいろいろ可能です。
いちばん簡単なのは、車両通行止めにして、居住者には特別許可を出すことです。チューリッヒ市内の中心街の川沿いの目抜き通りがつい最近車両通行止めになりました。(ただし、スイスの場合は住民投票での可決が必要です。)次が、一方通行などで迷路にすることです。道を知っている居住者以外は目的地へ着けないようにし、外来者には掲示板で誘導します。または、通り抜けができないように、道をある場所で断ち切ってしまうことも有効です。つまり、袋小路にしてしまうわけです。
「私が子供ころはもっと車が少なくて、道路が近所の子供たちとの大事な遊び場だった記憶があります」。
そうですね。昔は、空き地や原っぱがもっとたくさんありました。子どもたちには、できればそんな緑地や自由空間や近自然のせせらぎなどで遊ばせてあげたいですよね。その方が面白いですし。これに関しては「新しいまちづくり」の章で提案する予定です。
(スイスの山脇:54歳:入門「近自然学」筆者)
=筆者からのレス=
(ZED:35歳:電子機器製造)さんのコメントに
「日本で似たようなことができない理由をつらつら考えてみると・・・結局は国民の意識レベルの低さに帰結するように思えます」。
それも確かにあると思います。日本では行政や政治家に任せっきりの傾向がありますし、法律も社会システムもそれをバックアップしています。しかしながら、民主主義という制度上の最終責任が市民にあることに、スイスと変わりはありません。政府の決定や国会での議決、さらには行政の施策の最終責任は国民にあります。そろそろ任せっきりの姿勢を改めるときなのかもしれませんね。
「これを何とか改善せねば、おっしゃるような世界に近づくことはかなり非現実的でしょう」。
確かに我々の「意識改革」はすべての根源であるとも言えます。そのためには「啓発」が重要ですね。そして、啓発のためのモティベーションは「危機感」から来る場合が多いのではないかと思います。もちろん「知的興味」などポジティブな動機も考えられますが、多くの人たちはもうこれ以上は行けないという崖っ縁に来るまで、今までの進路ややり方を変えようとはしないのではないでしょうか? そして、環境問題はすでに崖っ縁です。
「『国民の意識の高さに依存する』という点で、このコラムの主題そのものが『マナーに依存する』と思います。その意味で、上の読者コメントへのコメントで、『(渋滞解消の)成功がマナーに依存する』ことを問題点として指摘されているのには、違和感を禁じ得ません」。
なるほど、おっしゃる通りですね。私の書き方がまずかったようです。「マナーだけに依存する」または「マナーに過度に期待する」システムはもろいと言いたかったのです。マナーを守らない者が出るとメチャメチャになりますから、何らかの対策をシステムに組み込む必要性を感じます。
まず、マナーを守りやすい、マナーを守る者をバックアップするシステムであることが重要です。そして、マナーに期待しながらも、マナー違反の者には鉄槌が下る必要性もあるでしょう。スイスでは公共交通に改札がありません。自己管理というマナーによっています。しかしながら時々検札が回ってきて、違反者には多額の罰金が科せられます。
マナーは社会の約束事です。一般的は不文律であり、違反者に罰則はありません。スイス・ドイツの社会を観察すると、確かに不文律も多いのですが、規則にして罰則を設けてあるものがたくさんあります。
「このコラムの主題はシステム工学(というと意味が狭いか?)的な観点から社会インフラのあり方を見直そうというものなのでしょうが、『見直しが必要だよね』という合意を、国民の間にいかに形成するかについても扱っていただければと思います」。
なるほど。
国民のコンセンサスを得るためには、危険に際して本能的に感じる「危機感」がカギではないかと思います。というのは、日本に戻るとあまりに危機感がないのにビックリするからです。
環境問題、世界紛争、人権問題・・・まるで存在しないかのような錯覚にとらわれてしまいます。そういうわけで、連載第1回目は皆さんに危機感を持っていただくためのものでした。ただし、危機感をあおるだけではダメで、2回目以降で具体的な提案をしています。つまり、これが我々人類の希望になるのです。
(スイスの山脇:54歳:入門「近自然学」筆者)