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入門「近自然学」〜豊かさと環境の両立は可能だ
プロフィール
太陽エネルギーへの転換を考える

2004/09/21

 環境問題を解決するためには、我々の豊かさをあきらめないでも済む方法を考える必要がある。そうでなければ、だれも実践しないからだ。

 「豊かさ=環境負荷」「豊かさか環境か」「建設か保護か」「エコノミー(経済)かエコロジー(環境)か」といった図式は、今の豊かさが石油エネルギーに依存しているからに他ならない。しかし、環境負荷がほとんどない太陽エネルギーで豊かさを実現するなら、我々はもっと豊かになっても大丈夫だ。つまり、環境問題解決の決め手は「石油エネルギーから太陽エネルギーへの転換」と言える。そして、それは「豊かさと環境の対立」から「豊かさと環境の両立」への転換であり、「エコノミーとエコロジーの両立」でもある。

1.環境共生共存の本当の意味:豊かさと環境の両立

 環境共生共存とは、一般的には、我々人類が自然や地球環境と折り合いをつけながら生きることを意味する。しかし、その根底には「人類の活動と地球環境とは対立する」という認識がある。この認識がある限り、我々人類は環境問題を根本的に解決することはできないだろう。豊かさを落とさなければならないなら、どんなに素晴らしい方策であっても、だれも実践しないことがほぼ確実だからである。

 近自然学では、環境共生共存を「我々の豊かさと地球環境とを両立させること」と定義し、その具体的な実践法を提案する。やり方によっては、「建設か保護か」「エコノミー(経済)かエコロジー(環境)か」といった対立から、「建設が保護に」なり得るし、「エコノミーとエコロジーの両立」も可能なのである。

2.石油エネルギーから「太陽エネルギー」への転換が決め手

 石油エネルギーの環境負荷が大きいのに対して、太陽エネルギーは環境負荷がほとんどない。それは、太陽エネルギーが太古より地球に降り注ぎ続けており、今、我々がそのほんの一部を流用するだけだからだ。

 太陽エネルギーとは「光」と「熱」だけではない。太陽からのエネルギーは光線の形で地球へ来る。それが形を変えたものが「熱」、「風」、「波」、「水の流れ」、「バイオマス(動植物すべてを合わせた生物資源のこと)」などだ。ゆえに、これら全ての太陽エネルギーを至る所でうまく利用することが重要である。

 その中でも特に、バイオマスが最も重要と言えるかもしれない。森林やサカナなどは太陽エネルギーが蓄積された一種のバッテリーであり、瞬時には消えてしまわないため利用しやすい。実は、農林水産業はこのバイオマスを有効利用する産業なのである(あった?)。

3.太陽エネルギーは十分にあるのか?

 「太陽エネルギーへの転換が決め手」とする以上、太陽エネルギーの量が重要になる。太陽エネルギーは、本当に十分にあるのだろうか?

 1年間に世界中で人類が使うエネルギー総量と、1年間に太陽から地球に降り注ぐエネルギーの総量を比べると、降り注ぐエネルギーの方が実に1万倍(!)も多い。

 国土が狭く、人口密度が高く、しかも世界有数の豊かな国である日本でさえ、日本人が使うエネルギー総量より太陽エネルギーの方が100倍も多いのである。しかもこれは日本周辺の海面や高山などに降り注ぐ太陽エネルギーを含めない数値なのだ(詳しい計算は「近自然学(2004年、山海堂)」を参照されたい)。

 つまり日本では、降り注ぐ太陽エネルギーの1%をとらえることができれば、今の豊かさを太陽エネルギーだけで賄えることを意味する。そして、全世界ではわずか0.01%でよいのだ。

4.問題解決のために「理念」が重要、一時しのぎの「ハシゴ段のつぎ足し」はダメ

 我々日本人は形や技にこだわる国民性を持っていると言われる。確かにアイデアを実現するためには形や技(技術、工法など)が必要である。しかし、形や技はツール(道具)であり、目的を達成するための手段にすぎない。目的と手段を混同してはならない。

 効果の上がる形や技のためには、しっかりした理念や原則(考え方)と、それを具体的な形にするためのコンセプト(構想、計画)が必要だ。例えば、目標がしっかり定まっていなければ、進むべき方向が決まらないではないか。目標が曖昧(あいまい)なまま形や技術のみを実践しても、的外れとなる危険性が大きいのは明らかであろう。

 その代わり、いったん、しっかりした共生共存の理念や原則を理解してしまえば、あとはどんな分野にも応用でき、大きな失敗を避けることができる。遠回りのようで、実は近道とは言えないだろうか。

 我々は環境悪化を何とか食い止めようと日々努力している。クルマの燃費を上げる、テレビなど電化製品の消費電力を落とす、コンピュータの効率を上げる、といった涙ぐましい努力を続けている。さらには、ゴミの分別収集、簡易包装、太陽光発電、有機農業、などの試みも定着しつつある。

 しかし、残念ながら努力が結果に表われない。CO2の排出量は減るどころか、増加傾向ですらある。

 良い結果が出ないのはなぜか? 努力のしかたが的を外している可能性が大きい。現実には我々は、大型のクルマに乗り替えたり、2台目を所有したりしている。また、より遠距離から通勤し、より多くの電化製品をそろえ、より高速でより多くのエネルギーを喰うコンピュータを導入する。これでは、良い結果が出ないのは自明だろう。

 では、ゴミの分別収集や太陽電池(ソラー・パネル)をたくさん貼るのはどうか? これらを間違いだと断定するわけにはいかないが、最終的なエネルギー収支がマイナスになっている可能性も否定できないのである。「やらないよりましだ」というやみくもな姿勢では今の環境問題は解決できないだろう。

 目先の問題のみを一時的に解決することを「ハシゴ段のつぎ足し」と言うが、一時しのぎはそろそろ見直すべき時であろう。「ハシゴ段のつぎ足し」は、医学で言う「対症療法(熱には解熱剤、痛みには鎮痛剤を与えて症状を抑え、患者の苦しみを和らげる)」と同様で、一時しのぎにはなっても、本質的には何も変わらないからだ。もちろん時間を稼ぐという意味はあるので、その間に問題の核心へ迫りたい。

 その核心こそが、あらゆる分野における「石油エネルギーから太陽エネルギーへの転換」である。転換にあたっては、小さな部分の改善に一喜一憂するのではなく、トータルで見たい。また、旧弊にとらわれていたのでは、大きな前進はおぼつかない。自由でフレッシュな発想の転換で臨みたい。

5.「負荷は集中、対策は分散」が原則

 環境が受けるダメージを低減するには、負荷となる行為や物質を減らすのが正道であろう。また、環境への貢献を増大するには、環境対策そのものを増やすのが基本であるかもしれない。だたし、それらの対策と同時に、同じ負荷行為を続けつつ、同じ負荷物質を出し続けながらも、環境へのインパクトを極小にする工夫も重要だ。

 それには、負荷行為や負荷物質を1カ所に集中すること、そして、さまざまな環境対策をあちこちに分散することである。

 「負荷は集中」させる。これは、負荷と環境へのインパクト(打撃)とが直線の比例関係ではなく、傾きが次第に緩やかになる飽和曲線を描くことを利用したものである。つまり、同じ場所で負荷をどんどん増やしていっても、環境へのインパクトは次第にそれほど増えなくなる。そこで、負荷行為や負荷物質は拡散させずに1カ所に集めるのが得策ということになる。

 一例を挙げよう。暖房の場合、部屋ごとにストーブをたくと環境へのインパクトは大きくなる(この際、家の断熱は論じない)。それをまとめてセントラルヒーティングにすると、インパクトは減る。さらにまとめて、地域で集中暖房にすると、環境へのインパクトはさらに小さくなる。

 これが「負荷は集中」させるということである。

 反対に「環境対策は分散」させる。環境対策と環境への貢献のグラフも同様に飽和曲線となる。つまり、同じ場所で環境対策をどんどん増やしていっても、効果が次第に上がらなくなるわけだ。つまり、我々にとっても動植物にとっても「損」ということである。

 飽和曲線上、効率の良い点があるので、そこを狙ったほどほどの対策を実施し、残りの予算を別の場所や他の対策に回すのが効率の良いやり方ということになる。

 環境対策の一例として汚水処理場を挙げよう。予算を1カ所に集中投入して世界一のハイテク処理場を建設し、あとはたれ流しのままにするのが「対策の集中」だ。これでは河川湖沼の水質が向上しないことが想像できよう。それに対して、同じ予算を分割して、ほどほどの処理場をたくさん造る方が、地域の川や湖の水質は確実に向上する。

 さらに予算を分割して簡易処理施設を全戸に普及させ、たれ流しを全廃する方が、水質向上という目的達成のためにはさらによい。これが「対策は分散」させるということである。

 このように、「負荷は集中、対策は分散」が地球環境にとっても、我々、人類にとっても得策と言うことができるのだ。

 次回からは、道づくり、まちづくり、川づくりなど、具体的なお話に入りたい。


=読者からのコメント=

■前回、紹介のあった「近自然の広場」参加者です。実は前回の読者コメントと筆者レスを読んで書き込んだコメントを投稿し損ねたのですが、今回の解説にも関連することがあったので、投稿します。

 私は、去年まで4年半程ISOの管理者をしておりました。環境配慮については自分自身が実践していくのみならず、その重要性を他者に伝えていくことの難しさを痛感してきました。同じことに対しても、その受け取り方は人それぞれで違いますから。

 今はあまり焦らないよう、やりがいのあることや楽しいことを探しながらじっくり実践していくことを心掛け、そのプロセス(過程)を通じて周りの人にも伝えることができればと考えています。苦しいことは長続きしませんもの。

 さて、弊社も企業として環境負荷低減や環境貢献という名の下に幾つかの取り組みを進めています。しかし、かえって環境負荷を増加させているのでは?とか、時には変な方向に進んでないか?という不安になることがありました(実は今もです)。

 それは何故なのか?については「近自然の広場」への参加を通じてはっきり認識できました。方向性や理念・原則が曖昧(あいまい)なままの実践は、逆の結果を生む恐れが大きいということです。山脇さんがおっしゃるとおり、理念・実践に基づいた手法の提案とその実践が大切になりますね。

 ただし、上記を前提とするものの、目指す方向性や理念について考える場合と、実践の手法(具体的な対応)を考える場合とは、少し分けて整理した方がよいかもしれません。まだ頭の中を整理しきれていませんが、これらを混同すると、理想通りの行動を相手(他人)に無理強いしてしまうことにもつながり得るのではないでしょうか?

 前者の場合は皆が共有することが望ましいと考えられますが、後者の場合は現在の社会情勢や個人(または組織)の置かれた立場さらには能力によって、できることには大きな差が有り、行動の優先順位も時と場合によって様々なパターンがあるものと考えられるからです。

 いずれにしろ、今回の連載が、一人でも多くの方々の「気付きの場」となることをお祈りすると共に、今後の展開を楽しみにしております。
(ガンダモン:40歳:造園、技術)

■「負荷は集中」「環境対策は分散」に関してよく分からなかったので次回説明を頂きたい。

 果たして暖房は集中暖房の方が負荷が少ないのだろうか。

 この場合、何を負荷と考えるかによっても答えが変わってくるかもしれない。エネルギーに関しては、熱の輸送で失われるエネルギーや、そのためのインフラを造り維持するエネルギーを考えると、家庭ごとに暖房をした方がよいのではないか。

 もう少しきちんとした説明なり前提なりないと議論できないことのような気がする。

 また、本論とは関係ないが、「痛みには鎮痛剤を与えて症状を抑え」ることが否定的に記述されている。ガンなどの慢性疼痛や痛みの症状を持つ人にとっては痛みを取ることこそが価値を持つ場合も多い。その点も気になった。
(かにくい:32歳:団体職員)

■当社も2002年7月にISOを取得しました。

 建設新聞(9/16)によれば、JABがSCOPEの認定を取り消しとありました。

 旧運輸省の外郭団体であるSCOPEが、北海道では49社が登録しています。取り消されたことにより、北海道いや全国での怒りがあるのは当然です。

 ある意味で、損害賠償に相当すると考えられます。一企業では、限界があります。どうしたらよいのでしょうか?

 ご意見をお待ちしています。

(ウッズ−シロ:58歳:建設コンサルタント)

■=筆者からのレス=
(ガンダモン:40歳:造園、技術) さんのコメントに

 とても重要なコメント、ありがとうございました。

 「方向性や理念・原則が曖昧(あいまい)なままの実践は、逆の結果を生む恐れが大きい」。

 同感です。

 「目指す方向性や理念について考える場合と、実践の手法(具体的な対応)を考える場合とは、少し分けて整理した方がよいかもしれません」。

 その通りだと思います。

 理念や原則は北極星であり進むべき方向を指し示してくれます。ヴィジョン(理想像)も同様です。しかし、我々は北極星に到達しようとするわけではありません。ですから、実践の場では、具体的な到達目標を設定します。その方が歩きやすいからです。

 例えば、「あそこの木に到達しよう」という感じです。北極星と木の方向は同じわけではありません。それで良いのです。途中に大岩があれば別の方向に到達目標を設定しなければならないでしょう。それも正しいのです。おっしゃるように、無理やり理想の方向を目指して進んだのでは、大岩に激突、つまり周りとの大きな軋轢(あつれき)が生じることになりかねません。

 ただし、北極星をしっかり持っているのかどうかは、実はとっても大事なことです。これがないと、次々に到達目標を設定しているうちに、飛んでもない方向へ行ってしまう危険性が大きいでしょうから。

 この方向を示す「北極星」と到達目標である「木々」を混同すると不都合が生じるでしょう。次元が違うのですから当然ですね。でも、我々はこの間違いを犯しがちです。条件に左右されない原則の議論の際に、我々は往々にして、現実の具体的な問題を持ち込みがちです。これはハッキリ言って反則です。「我々の進むべき方向はこっちだ」「そっちには大岩がある」のように、水掛け論や泥仕合になりますね。次元の違う話なんですから。

 同時に、失敗を恐れずにディスカッションする勇気も重要です。議論の過程で自分の考えが至らなかったと気付けば、どんどん修正していけばよいのですから。私自身、そんなつもりで連載しています。ですから、みなさんのコメントをかけがえのないものと思っています。

 また、いろいろなご意見、よろしくお願いします。
(スイスの山脇:54歳:入門「近自然学」筆者)

■=筆者からのレス=
(かにくい:32歳:団体職員) さんのコメントに

 示唆の多いご指摘、どうもありがとうございました。

 「人間の行為」がもたらる「環境への影響」は比例関係では増え続けないで、次第に飽和してきます。ですから、「負荷は集中、対策は分散」が原則論としては確かに正しいですが、実践の場では、ケース・バイ・ケースと言うこともできますね。個々の条件が目まぐるしく変わりますので。

 ただし、共通の原則を理解しておくと、実践の場での対応に役に立ちます。それは、理念や原則が闇夜での北極星の役割を演じてくれ、我々の進む方向を明確に示してくれるからです。実践の場では現実の問題に目を奪われて、進むべき方向を見失いがちです。

 おっしゃるように、環境負荷の定義はあいまいです。

 一般的には環境破壊、環境汚染、循環阻害などと言われます。ますます泥沼にはまりそうなものが並んでしまいます。そこで私は、一応目安として「エネルギー投入量(従って二酸化炭素(CO2)排出量)」と「汚染物質」を念頭に置きました。当然、エネルギー投入量は、製造・輸送・維持管理・リサイクル・廃棄処理などのすべてのプロセスを合わせた、いわゆる「エコバランス」という、スイス・ドイツで一般的な概念です。暖房では、その運転時に出る排ガスの量と質も加味した方がよいでしょう。

 部屋ごとに暖房するストーブは一つひとるが小さいので見逃しがちです。しかし、インフラの製造・維持管理・廃棄処理、石油の精製・分配、排ガスによる大気汚染などは、総体としてはかなり大きくなる可能性があります。セントラルヒーティングは重油が使えますから精製のためのエネルギーは減りますが、今度は排ガスが厳しくなります。家庭での排ガス対策はかなりずさんです。集中暖房では、かなり進んだ排ガス対策のテクノロジーが使えます。それに、石油はエネルギーが凝縮した集中性エネルギーですから、スケール・メリットと言って、まとめることによる効率アップが期待できます。

 おっしゃるように、集中暖房もどんどんエリアを広げていきますと、エネルギーの輸送距離が増え、インフラ建設のエネルギーと(断熱技術が進歩しているとは言え)輸送ロスが大きくなってきます。ですから、どこかに臨界点があります。闇雲に集中すればよいわけではないのは、その通りですね。

 団地や小さな村単位では、環境負荷が確実に減ると見てよさそうです。

 「もう少しきちんとした説明なり前提なりないと議論できないことのような気がする 」とおっしゃるのは、現実の実践の場での話ですね。確かにその通りです。今回の連載は具体的なケーススタディではなく、進むべき方向を示す理念や原則のお話とご理解ください。実践では、原則を踏まえて、その場の条件にあったソリューションをみつけなければなりません。

 医療での対症療法や鎮痛剤の投与の問題も同様です。おっしゃるように、個々の事例では、他に解決策がない場合も当然考えられます。ですから、私はすべてを否定するつもりはありません。ガン患者の痛みをとって苦痛を和らげることに私も賛成です。子供にとって危険な高熱を下げることも大切です。まあ、氷枕という手もありますが。

 しかし、鎮痛剤、解熱剤、精神安定剤、睡眠薬、抗生物質などがあまりに容易に、しかも若年層にまで広く使われている事実には警鐘を鳴らしておかなければなりません。それは、多くの場合、本質的な問題解決ではないからです。

 でも、おっしゃるように難しい問題を含んでいるのは確かですね。
(スイスの山脇:54歳:入門「近自然学」筆者)

■環境共生について考えると、我々の社会生活においてありとあらゆる場面が想定され、その領域は無限大であるように思います。環境問題については、対象のレベルは多種多様であるものの、それぞれの事項は関連し、問題解決のベースは同じではないかと私も考えます。確かに、そのベースとなる理念や考え方を理解し、それに基づいた行動を取らなければならないと思います。

 環境との共生は、今後大切にしていかなければならないことで、意識改革も必要になってくるのでしょう。しかし、そこが難しいような気がします。

 身近で単純な例ですが、緑を増やす活動など、自ずと環境共生へ市民の意識が向かう場合もある一方、緑があると落ち葉の片付けが面倒、虫が湧くなどの理由からそれらを排除しようとする場合も見受けられます。

 自動車を購入する際でも、環境負荷を考えれば低排出ガス車を選ぶべきでしょうが、自分の好みでお構いなしという人もいます。皆の意識が一様によい方向に向くということはあり得ないのでしょうが、少しでも理解する人が増え、さらに流れが大きくなることを期待します。

 今や街づくりにおいて、バリアフリーは当たり前です。それと同様に環境共生も当たり前になりつつあると思います。個人ではできないこともたくさんあるわけで、それをできる立場の人があらゆる場面で積極的に取り組んでいかなければならない、また関連する仕事は無限にあるということでしょうか。

(Jun:37歳:地方)

■前半、「石油エネルギーから太陽エネルギーへの転換が決め手」はその通りと思います。

 後半部「負荷は集中, 対策は分散」についても、全くその通りと思います。

 それぞれおっしゃっていることは全くもって賛成です。しかし私には「石油エネルギー〜」と「負荷は〜」のつながりがわかりませんでした。

 また太陽エネルギーは十分あるということですが、確かにエネルギー量としては多いですが、必ずしも“十分”ではないと私は思います。日本国内に限れば太陽エネルギーの1%をとらえることができれば、ということですが、ソーラー発電では必要なエネルギーを得るために、国土の10%弱をパネルで覆うことになると思います。とても現実的とは思えません。

 ソーラーパネルをたくさん貼ればよいというものではない、とおっしゃられているので、具体的にどのような利用法を考えられているのかご紹介いただければと思います。
(kitsuyuki:34歳:研究)

■=筆者からのレス=
(ウッズ-シロ:58歳:建設コンサルタント) さんのコメントに

 ごめんなさい。私の手に負えないテーマです。どなたかこういうことに詳しい読者の方のレスを待ちましょう。一度コメントいただいた(ガンダモン:40歳:造園、技術)さんいかがですか?
(スイスの山脇:54歳:入門「近自然学」筆者)

■=筆者からのレス=
(Jun:37歳:地方)さんのコメントに

 「環境共生について考えると、我々の社会生活においてありとあらゆる場面が想定され、その領域は無限大であるように思います」

 私もその通りだと思います。だからこそ、我々、一個人が環境共生共存の正否のカギを握っているとも言えますね。

 「対象のレベルは多種多様であるものの、それぞれの事項は関連し、問題解決のベースは同じではないかと私も考えます。確かに、そのベースとなる理念や考え方を理解し、それに基づいた行動を取らなければならないと思います」。

 まさにこの点をこそ、私はみなさんに訴えたかったわけです。この共通認識がないと、具体的な問題解決は錯綜を極めます。実はその前に、「環境共生共存」を採るかどうかのコンセンサスが必要です。つまり、豊かさを落としてよいなら、近自然学は必要ありませんし、今の豊かさが子供たちの代まで持続できなくても構わないなら、やはり近自然学はその意味を失いますから。

 「環境との共生は、今後大切にしていかなければならないことで、意識改革も必要になってくるのでしょう。しかし、そこが難しいような気がします 」

 全く同感です。

 極論すれば、我々の意識改革こそがカギだとも言えます。それさえ実現すれば、問題解決のためのテクノロジーは、もうすでに(ほとんど、すべて)存在しています。意識改革をしないで、新しいテクノロジーに環境問題の解決を期待する向きもありますが、それは間違いだと思います。テクノロジーは手段にすぎず目的ではありません。

 我々の求める理想の世界という目標が定まらなければ、意味のないものです。進むべき方向が定まらなければ、踏み出す次の一歩は定まりませんものね。我々の古い価値観は、今、崩れつつあります。そこで、我々が進むべき方向である新しい理想の世界を思い描かなければいけません。そのための意識改革であり新しい価値観です。

 「緑があると落ち葉の片付けが面倒、虫が湧くなどの理由からそれらを排除しようとする場合も見受けられます」。

 木々や枯葉はバイオマス(生物資源)ですから、実は貴重なエネルギー源であり資源です。これを邪魔なものと考えるのは石油エネルギーが安すぎるから、もっと言うと、環境負荷がタダだからでしょう。それに心を軽視するという面もあるかもしれません。

 ここでの私の提案は、第1に、枯葉や木々の維持管理(清掃も含む)は、スイス・ドイツのように税金を投入した行政の仕事(委託もありです)とすることです。そこでの雇用も確保できます。そして、第2は、それを燃料やコンポスト(編集部注:ゴミなどを発酵させて作る肥料)として活用し、石油エネルギーを少しでも減らしたいです。

 時代が変われば、枯葉を奪い合うようになるかもしれませんよ。

 「自動車を購入する際でも、環境負荷を考えれば低排出ガス車を選ぶべきでしょうが、自分の好みでお構いなしという人もいます。皆の意識が一様によい方向に向くということはあり得ないのでしょうが、少しでも理解する人が増え、さらに流れが大きくなることを期待します」。

 この葛藤はとてもよく理解できます。同時に、だれでも好きなことができる窮屈さの少ない社会にもあこがれます。

 そこで提案したいのが、「環境負荷ペナルティー」と「環境貢献プレミウム」の導入です。環境負荷行為や物に対してその負荷に応じてペナルティーをかけ、反対に、環境貢献と思われる行為や物にはプレミウムを出すというものです。

 例えばガソリンです。「加害者負担原則」に基づいて、環境への悪影響と損害をその価格に転嫁すると、現在の6から7倍の値段になると、スイス・ドイツでは言われています。全世界で税収が減り、円滑な公共サービスが滞っています。ですから、環境負荷行為から税金を徴収するのは国民のコンセンサスを得られやすいでしょう。

 そうしておいて、「どんな製品でも自由にチョイスしてください」と言うならばフェアでしょう。しかも個人の自由が確保されますね。現状は環境負荷をかける者が「割り勘勝ち」する、アンフェアなシステムのように思います。

 「個人ではできないこともたくさんあるわけで、それをできる立場の人があらゆる場面で積極的に取り組んでいかなければならない、また関連する仕事は無限にあるということでしょうか」。

 そういうことだと思います。

 ただ単に、皆が環境共生共存を実践するという「善意」に期待するだけではなく、共生共存が経済的にも有利になるようなシステムにしないと、大きな成功は望めません。これからは環境共生や環境対策が新たなビジネスチャンスになると予想します。製造や販売側のビジネスだけではなく、環境共生製品を買うと、消費者にとっても有利になる社会システムを構築したいです。

 例えば、環境負荷が大きいと思われる安い輸入野菜と、より高い国産の有機野菜がスーパーに並んでいたら、多くの消費者はどちらを選択するのでしょうか? 皆の善意のみに期待するシステムは、長続きしないように思います。

 現在の我々の生活が物質的にも精神的にもさらに豊かになり、子供たちのチャンスが大きくなる社会。それは、環境負荷が小さく、しかも最終的には社会や個人の余計な出費を抑えてくれる……そんな「欲張りな」新しいシステムを考え、実現したいですね。
(スイスの山脇:54歳:入門「近自然学」筆者)

■=筆者からのレス=
(kitsuyuki:34歳:研究)さんのコメントに

 「それぞれおっしゃっていることは全くもって賛成です。しかし私には「石油エネルギー〜」と「負荷は〜」のつながりがわかりませんでした」。

 確かに、説明不足の舌足らずでした。反省してます。

 太陽エネルギーへの転換と言っても、100%の転換は非現実的ですし、その必要性もありません。現在、我々人類が排出しているCO2の総量は、植物が固定できる量より1/3ほど多すぎると言われます。つまり、削減目標は33%(ただしエンジニアリングでは、目標を33%に設定すると最後の1%で苦しみますから、50%位を目標に設定するのが得策です)ということになります。

 そこで、どこでどのように削減するのかを検討します。直接的に石油エネルギーを太陽エネルギーに転換することが一つ。そして、間接的な削減があります。それは環境破壊や環境汚染を減らすことです。と言うのは、それらの問題を解決するための対策にエネルギーを使うからです。

 例えば、大気汚染で呼吸器系の病気が増えて人々が苦しむだけではなく、その治療のために莫大なエネルギーを使うことが予想されます。ですから、環境破壊や環境汚染を減らすことは、間接的にエネルギー消費を減らすことにもなります。

 これが「太陽エネルギーへの転換」と「負荷は集中、対策は分散」という二つの原則の連関です。

 「また太陽エネルギーは十分あるということですが、確かにエネルギー量としては多いですが、必ずしも“十分”ではないと私は思います。日本国内に限れば太陽エネルギーの1%をとらえることができれば、ということですが、ソーラー発電では必要なエネルギーを得るために、国土の10%弱をパネルで覆うことになると思います。とても現実的とは思えません」。

 全くその通りですね。

 太陽エネルギーと聞くと我々の頭にはソーラー発電がすぐに思い浮かびます。実質的なエネルギー変換効率が10%しかない太陽電池だけで太陽エネルギーをとらえようとすると、おっしゃるように国土の10%をソーラーパネルで覆い尽くさないとダメです。そんなことはとても不可能です。

 さらには、太陽電池のエネルギー収支(製造・運転・廃棄処理などすべてのエネルギーの総合)は現状ではマイナスと言われます。つまり、やらない方がエネルギー面からは「得」ということです。でも私は将来への投資と理解したいです。

 「ソーラーパネルをたくさん貼ればよいというものではない、とおっしゃられているので、具体的にどのような利用法を考えられているのかご紹介いただければと思います」。

 太陽エネルギーの利用はソーラー発電だけではありません。詳しくは「新しいエネルギー利用」の章でお話しするつもりですが、熱、風、水、波、間接熱、そしてバイオマス(生物資源)も太陽エネルギーです。

 太陽エネルギー利用の原則から「ハイテクで高価な物を少しだけ」より「ローテクて安い物をたくさん」が有利です。これは太陽エネルギーが分散性エネルギーであることとも関連します。石油のような集中性エネルギーは集中利用が正しいのですが、分散エネルギーは分散利用が原則です。

 ですから、例えば、大型の風力発電用プロペラを1カ所にズラーッと並べるのは、太陽エネルギーに対する基本的な認識の間違いがあるように思います。石油と同じやり方で太陽エネルギーを考えたのではダメです。頭の切り替えが必要なんですね。

 バイオマスは、太陽エネルギーを化学エネルギーに変換して貯蓄した、一種のバッテリーです。この有効利用が太陽エネルギーへの転換のカギになると思います。さらに言うと、バイオマスの有効利用の産業である「農林水産業の見直し」です。「新しい農林水産業」の章に詳細はゆずりますが、特に、日本国内の森林の有効利用は日本と地球環境にとって、危急の課題だと思います。

 木質資源を単なる熱量として考えてはいけません。同じ木材を、家の建築から家具・道具・玩具・紙の製造と、何度も繰り返して使います。そして最後は燃料またはコンポストとして役立て、ここで同じ木質資源の一生は終わります。つまり何度もリユース(再使用)がするわけです。それは多量の石油エネルギーの節約を意味します。

 将来はプラスティックに代わって、もっと多くの国産材による木製品が使われることでしょう。木製品の質感が我々にとって気持良いというだけではなく、将来、環境負荷ペナルティーが加算されるプラスティックより安価になる可能性も大きいのです。そうなると、本当に必要な目的以外では、プラスティックは、経済的にペイしなくなります。しかも、そのために国内に多くの雇用を確保できるでしょう。我々の豊かさにも貢献してくれるわけです。
(スイスの山脇:54歳:入門「近自然学」筆者)

■「負荷は集中、環境対策は分散が得策」について気になったので投稿しました。

 本文の主題は太陽エネルギーへの転換ですが、環境問題の根本を考えたとき、限りなく循環型社会の形成に行き着きます。循環型社会への転換には、「今まで廃棄物とされてきたものを資源やエネルギーとして有効利用する」、「自然エネルギーを有効利用する」ことが必須です。

 太陽光や風力、バイオマスなど、自然エネルギーによる発電規模(エネルギー供給規模)は、原子力や火力などとは到底比較できないレベルです。現在のような、中央で巨大な規模で発電を行い、それを各所に分配するという現在の電力供給の仕組み、いわゆる負荷集中型に太陽光や風力をあてはめるのは絶望的です。

 この直線的なエネルギー供給システムにおいて、すなわち負荷集中型は、資源の大量投入→大量消費→大量廃棄+大量のエネルギーロスという流れは不可避です。やはり環境問題の原点を考えたとき、エネルギーの供給・消費形態として、個別分散という考え方が必要です。その中で、太陽光、風力といった小規模の自然エネルギーが初めて生きてくることになります。

 「負荷は集中、環境対策は分散が得策」というのは、従来の直線的なエネルギー供給システムを前提としていることに他ならないと思います。どうお考えなのか教えてください。
(donchan:26歳)

■「ISO認証の捉え方」と「審査登録機関が認定取り消しされた場合の対応」について。

 ウッズ‐シロさんのコメントについてまず確認させていただきます。御社は審査登録機関であったSCOPEからISOの認証を受けられているという理解でよろしかったでしょうか? この前提でお話しします。

 既にご承知のことかもしれません。JAB(財団法人適合性認定協会)のホームページに審査登録されている組織の方への対応が紹介されていました。

 このサイトには、(1)現登録証から「JAB認定マークなしの登録証」の発行を受けること、(2)今後の対応として「登録証の移転」に際して新たな審査登録機関による現地審査が必要、とのことです。名誉も損なわれるし、費用は掛かるし手続きも大変ですよね。状況をお察しすると共にお怒りもごもっともだと思います。

 対応について考える前に、ISOの認証をどのように捉えるかについて述べさせていただきます。今回のことは御社がそもそもISOを認証取得された目的が何であった(ある)かによって、その対応は大きく変わってくるものと思われるからです。認証取得によるアピール効果を期待するのは当然のことですけど、それだけとは限りませんので。

 山脇さんのお話にもありましたが、大切なことは「形や技はツール(道具)であり、目的を達成するための手段にすぎない。目的と手段を混同してはならない」ことではないのでしょうか? 私はISOの認証はあくまでも手段(経営に生かす道具)であって、目的ではないものと認識しています。

 私は経営者ではないのですが、ISOの有効利用法として、例えば経営者や社員また顧客などとの内外コミニュケーションツールにすること(ISOを使って経営者に言いたいことを言うとか)を心掛けています(笑)。

 認証し維持することばかりにとらわれる(つまり目的化する)と効果的なシステム運営が期待できなくなるのでは?と思われます。でも、実際はそうなりがちで、運営する者にとってISOがお荷物になってしまうこともよくある話しです。

 マニュアルに沿って同じものばかり造って、やたら書類を増やすだけでは意味ないですからネ。ですから、無用の長物にするか、有効な道具にするかは使い手次第ということになると思います。

 そこで、今回の対応を考えます。損害賠償すると多大な時間や労力を要し、かつ精神的なダメージを受けることが予測されます。また審査登録機関はその組織自身が選択したパートナーである(つまり選択の自由が与えられている)わけですから、パートナーを訴え世間に公表することは、かえってマイナスイメージを与える恐れが大きいのでは?と考えます。よって、個人的な意見としては損害賠償が得策だとは思えません。

 それよりも、認証企業として社会やお客様から一日も早い信頼回復をするために、登録証の移転を速やかに実施されることの方が先決のように感じました。その方が、経営の道具として有効利用しようとする姿勢を感じますし(経験談を営業ネタに、それが将来の企業イメージアップとなり得るかもしれない)、ISOの認証を前向きに捉えていける気がしますが、いかがなものでしょうか?

 あくまでも第三者の感想でしかありませんが、少しでも参考になれば幸いです。
(ガンダモン:40歳:造園)

■筆者の方が現実的な解を探しているという姿勢は理解できます。しかし、それが“ハシゴ段のつぎ足し”につながらないだろうか?と不安に思いました。

 さて、その姿勢はさておき、理論に対して感じた疑問を2点挙げます。

1。太陽エネルギーは環境負荷がほとんどないのか?

 太陽エネルギーから1%を利用するというのは、十分に余裕のある数字なのでしょうか。生物の生活環境は、地球表面の薄皮一枚、その中の微妙なバランスとサイクルの上で成り立っているものですよね。太陽光はもちろん、風や波も、その要素であると思われます。その自然のサイクルから1%ものエネルギーを奪って人工的に別な形へ変換するということは、はたして余裕のある数字なのか?疑問に感じました。

 また、エネルギー密度が低い太陽エネルギーに転換するということは、例え1%を拾い集めるだけでも、その施設は膨大な数と広がりが必要なのではないでしょうか。その環境負荷が小さいと言える程度で済むものなのか?疑問に感じました。

2。負荷が持つ環境へのインパクトは飽和するのか?

 この現象は単位地域内でのお話しではありませんか。

 そもそも飽和すると言うことは、飽和点があるということですよね。

 負荷が増えていくと、発生源付近では飽和するものの、溢れ出た負荷が周囲に拡散して、周囲の環境にインパクトを与えているのでなかろうかと思えるのですが。間違っていますでしょうか?

 負荷は適度に集中させた方がよい(最適点があるはずだ)という結論には賛成なのですが、その理由づけに疑問を感じましたので、挙げてみました。
(fusa:40歳:製造業情報システム部門)

=筆者からのレス=
(donchan:26歳)さんのコメントに

「本文の主題は太陽エネルギーへの転換ですが、環境問題の根本を考えたとき、限りなく循環型社会の形成に行き着きます。循環型社会への転換には、「今まで廃棄物とされてきたものを資源やエネルギーとして有効利用する」、「自然エネルギーを有効利用する」ことが必須です 」。

 とても正鵠を射たご意見だと思います。

 循環型社会の実現を目指すとき、豊かさを落とすことなく、環境負荷と資源の枯渇を回避しなければなりません。環境負荷を減らすためには、ムダを省いて我々が必要とするエネルギー総量を抑えると共に、それを再生エネルギー(あえて自然エネルギーとは言いません。石油も自然エネルギーだからです)で賄うこと。資源の枯渇を避けるためには、できるだけ再生可能資源を有効利用することでしょう。枯渇資源はリサイクル(形を変えて再生利用する)しますが、それにはエネルギーを使うことを忘れてはいけません。できればエネルギーを使わないで済むリユース(元の形のまま再使用する)を繰り返したいですね。

「太陽光や風力、バイオマスなど、自然エネルギーによる発電規模(エネルギー供給規模)は、原子力や火力などとは到底比較できないレベルです。現在のような、中央で巨大な規模で発電を行い、それを各所に分配するという現在の電力供給の仕組み、いわゆる負荷集中型に太陽光や風力をあてはめるのは絶望的です」。

 その通りですね。

 しかし、絶望的と言うより、置き換える必要性のない別物と考えたいです。太陽エネルギー(光、熱、風、波、水、間接熱、バイオマスなど)を従来のエネルギー供給のインフラに乗せるためには、どうしても集中利用と電気へのエネルギー変換になります。大規模ソーラー発電や大規模風力発電がその良い例です。

 しかし、ここには二つの基本的な間違いがあるようです。一つは、分散性エネルギーである太陽エネルギーの集中利用という点。もう一つは、エネルギーを初めから電気に変換する点です。 

 詳しくは「新しいエネルギー利用」の章で考察しますが、太陽エネルギーは分散性エネルギーですから、その利用は小規模分散が原則です。つまり、ローテクで安いものを至る所で利用する形態です。研究は別として、資本の集中投下も間違いです。

 そして、エネルギー変換をできるだけ避け、得られた形のまま使います。光は光として、熱は熱として、風や水は動力として、バイオマスはそのままの形として使うのが基本です。

「この直線的なエネルギー供給システムにおいて、すなわち負荷集中型は、資源の大量投入→大量消費→大量廃棄+大量のエネルギーロスという流れは不可避です。やはり環境問題の原点を考えたとき、エネルギーの供給・消費形態として、個別分散という考え方が必要です。その中で、太陽光、風力といった小規模の自然エネルギーが初めて生きてくることになります」。

 全く同感です。

「『負荷は集中、環境対策は分散が得策』というのは、従来の直線的なエネルギー供給システムを前提としていることに他ならないと思います。どうお考えなのか教えてください」。

 その通りです。

 環境負荷はエネルギー供給システムだけの話ではありません。テーマを絞ってみましょう。当面、集中性エネルギーの供給システムと分散性エネルギーの利用システムが共存することになると考えるのが現実的です。太陽エネルギーの利用比率を次第に上げていって・・・どこまで行けるのか? 持続社会実現のためには石油エネルギーの33%削減が、我々が越えなければならない一つの敷居です。

 従来のエネルギー供給システムは、環境負荷の傾向が強く「集中」が原則です。集中すれば、環境へのインパクトが減り、さらに、スケールメリットによりエネルギー効率が上るというダブルのメリットが得られます。

 太陽エネルギーは環境負荷のないエネルギーです。分散性エネルギーである太陽エネルギーの利用は、分散利用が原則です。(私の中でもまだ結論が出ていないのですが)環境貢献(環境共生共存への貢献)と見なすことがよいように思われます。

(donchan)さんは、この点、いかがお考えですか?
(スイスの山脇:54歳:入門「近自然学」筆者)


=筆者からのレス=
(fusa:40歳:製造業情報システム部門) さんのコメントに

 非常に的確なご指摘を受けたと感じました。

「太陽エネルギーは環境負荷がほとんどないのか? 」

 ありますよね。太陽エネルギー利用システムのインフラを太陽エネルギーだけで造れるのかと言うと、それは疑問です。ですから、負荷はゼロではありません。

「太陽エネルギーから1%を利用するというのは、十分に余裕のある数字なのでしょうか」。

 この数字は、日本での、しかも海洋と高山を含まない、大きめに見た計算値です。実際にはもっと小さくて済みます。しかしながら、1%はとても厳しい値です。ですから、石油エネルギーを完全になくすことはできません。またその必要性もありません。持続社会の実現には現在の石油使用量を約33%削減しなければなりません。ですから、この部分を太陽エネルギーに置き換えることになります。日本では太陽エネルギーの0.33%、全世界では0.0033%をとらえればよいわけです。

「生物の生活環境は、地球表面の薄皮一枚、その中の微妙なバランスとサイクルの上で成り立っているものですよね。太陽光はもちろん、風や波も、その要素であると思われます。その自然のサイクルから1%ものエネルギーを奪って人工的に別な形へ変換するということは、はたして余裕のある数字なのか?疑問に感じました 」。

 これは全くおっしゃる通りだと思います。

 エネルギーの最終形態は熱であることが分かっています。すべてのエネルギーは形を変えながら最終的には熱となり、宇宙空間へ放出されます。この自然のエネルギー・フローをできるだけ妨げない配慮は必要でしょう。具体的にどうすればよいのかは、これから人類が智慧を絞りみつけていかなければならない課題だと思います。

「エネルギー密度が低い太陽エネルギーに転換するということは、例え1%を拾い集めるだけでも、その施設は膨大な数と広がりが必要なのではないでしょうか。その環境負荷が小さいと言える程度で済むものなのか?疑問に感じました 」。

 私の構想は、現在のエネルギー供給システムのエネルギー源を石油エネルギーから太陽エネルギーに換えることではありません。太陽エネルギーの利用システムは、従来のエネルギー供給システムとは別物と考えます。つまり、エネルギーを必要とする場所で、そこにある、あらゆる形態の太陽エネルギー(光、熱、風、波、水、間接熱、バイオマスなど)を獲得して、できれば元の形のまま利用することです。そして、この比率を次第に高めていって・・・33%を越え、さらに高め・・・どこまで行けるのでしょうか?

「そもそも飽和すると言うことは、飽和点があるということですよね」。

 飽和と言いましたが、数学的に正確な表現ではありません。ごめんなさい。指数関数的な曲線とでも言いましょうか。どこかに飽和点が存在するわけではありません。我々の行為に対する環境への影響は無限に増え続けます。ただし、効率はどんどん落ちます。それを利用して、環境の受けるダメージをできるだけ減らそうというわけです。

 「負荷が増えていくと、発生源付近では飽和するものの、溢れ出た負荷が周囲に拡散して、周囲の環境にインパクトを与えているのでなかろうかと思えるのですが。間違っていますでしょうか? 」

 間違っていません。その通りだと思います。やはりどこかに臨界点がありますね。負荷を永久に集中できるわけではありません。まあ、そんなことは非現実的ですし。

「負荷は適度に集中させた方がよい(最適点があるはずだ)という結論には賛成なのですが、その理由づけに疑問を感じましたので、挙げてみました。 」

 とっても的確なご指摘です。ありがとうございました。現実の実践の場ではこのことを念頭に置いた対策が必要ですね。

(スイスの山脇:54歳:入門「近自然学」筆者)


山脇 正俊

近自然(工)学研究家
チューリッヒ州近自然工法アドバイザー
スイス連邦工科大学・チューリッヒ州立総合大学講師
北海道工業大学客員教授
電子メール:
masayama@aol.com
ホームページ:
http://members.aol.com/
masayama/

最新著書:
「近自然学」(2004年4月、山海堂より出版)
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