意思があれば理解者も現れる〜インター・ギャラクシー・システムズ社長 新井 貴久 氏(3)

2005/03/17

「やりたいと思うことがあったからこそ、それを評価してくれる人が現れたのではないか」。インター・ギャラクシー・システムズの新井貴久社長は、会社の中に身を置きつつも、やりがいを感じる仕事を自らの力で勝ち取り、実行してきた。その背景には、新井氏を支援してくれる上司などよき理解者の存在があった。
マーケティングの仕事は経営に近いものだと実務で実感
■1991年12月に日本IBMを退社し、ERPパッケージ(統合業務パッケージ)の会社に転職しました。
新井 SSAグローバルという、外資系ERPパッケージメーカーの日本法人に、2000年1月まで、都合8年強在籍しました。
インター・ギャラクシー・システムズ社長 新井 貴久氏
■ERPパッケージは、今では、日本でも認知されるものとなっています。1991年、92年ころのERPパッケージ市場はどういう状況でしたか?
新井 全く認知されていませんでした。「基幹業務システムにパッケージを利用するなんてとんでもない」という時代でした。ですから、私がSSAグローバルに入社した当初は、ERPパッケージではなく、ソフトウエアの開発支援ツールの販売がメインでした。
その後、日本でもERPパッケージが認知されるようになりました。普及していく様子を目の当たりにできたことは、大変面白い経験だったと思っています。
■仕事は、日本IBM時代と同様、マーケティングの担当だったんですか?
新井 製品のマーケティングを担当していたのは、最初の4年間です。後半の2年間は社長補佐の仕事を並行して担当していました。この仕事が面白かったんです。
具体的には、売り上げなど経営にかかわる数字をまとめて、将来の経営計画の骨子をつくる作業でした。「経営者の仕事というのは面白いなあ」というのが実感でした。そして、プロダクトマーケティングの仕事は、経営者の仕事と実はよく似ているんだなあと思うようになりました。
プロダクトマーケティングの仕事は、学生時代は、ビジネスコーディネーションだと思っていました。それはそれで間違いではないのですが、一つの製品を誕生させ、売り出していくという作業は、経営の仕事と同じなんです。それを実感できたのは社長補佐という仕事をしたおかげだったと思います。
自分が立てた計画を実践したくてと営業職を志願
■それでは、「ずっとこの仕事をしていたい」と思ったのでは?
新井 いえ、それがですねえ、マーケティングの仕事をしているうちに、「今度は営業の仕事がしたい」と思うようになったんです。
■それは何かきっかけがあってのことなんでしょうか?
新井 マーケティングの仕事というのは、計画を立てる仕事です。長いこと、計画を立てているうちに、「自分で実践したらどうなるんだろう?」と考えるようになったんです。
■計画を立てるだけでは満足できず、実践もしてみたくなったということですね。
新井 そうです、そうです。自分で仮説を立てて、それを実践してどういう結果が出るのか、試したいと思いました。
でも、マーケティングを担当している人間が、「次は営業をやりたい」といっても、普通はなかなか聞き入れられないんです。特に外資系の場合、本人の意向で全く違う職種に異動するというのはほとんど許されません。経験のない仕事をさせてくれないんです。
マーケティング職で入社したら、マーケティングのプロだとみなされます。したがって、マーケティングの仕事しかできない。営業の仕事がしたいとなったら、転職して別の会社に入社するしかないんですよ。経験のない仕事をさせるのは、リスクが高いのでダメだという判断をするわけです。これは外資系ならではの不自由なところだと思います。
私の異動も、米国本社で一度は「ダメだ」と判断されたんです。ところがその判断が覆って、「経験はないけれども、やってみろ」ということになりました。
これは当時の社長だった新造宗三郎さんが理解してくれたのが理由の一つ。加えて、担当していた事業があまりうまくいってなかったので、「失敗しても失うものは少ない」と判断されたのが大きかったようです(笑)。
■そういう意味では、運がよかったわけですね。
新井 そうかもしれませんね(笑)。
やりたいことがないヤツは、だれも支援しない
■それだけ自分でやりたいことを手にしながら、SSAグローバルを退社したのはなぜですか?
新井 最初にお話したところに戻るのですが、「外資系ソフトメーカーで仕事をすることの限界」を痛感したからです。自分で物を作って、売る…そういうメーカーとしての仕事をしてみたいと考えるようになったんです。外資系ソフトメーカーの日本法人は、ほとんどの場合、製品開発の機能を持っていません。
もっとも、退職した当初は、留学してMBAを取得したいと考えて準備を進めていたんです。マーケティングに関してこれまでの勉強したことを総括しようと考えて…。ところが試験に落ちまして(笑)。どうしようかと迷っているところを、「稲畑産業で仕事をしてみないか?」と誘っていただいたんです。
■新井さんの話を伺っていると、ターニングポイントにはそれを支援してくれる理解者がいたんですね。
新井 確かにそういう人がいたからこそ、こうして自分のやりたい仕事をしてこれたんだと思います。周囲の人から、「お前は取り入るのがうまいな」と言われたこともあります。でも、最近になって考えてみたんですが、私自身にやりたいと思う仕事があったからこそ、支援してくれる人が現れたんじゃないでしょうか。
■確かに、何も考えていない部下を支援したいとは思えないでしょう。
新井 そう考えると、「やりたいこと」を明確に持っていることが、やっぱりいちばん大事なんではないかと思います。
インター・ギャラクシー・システムズの事業は、予定よりもコストが掛かりすぎたため、今後の方針を探っている状態だ。ただし、新井氏の鼻息は荒く、軸はぶれていない。自分で製品を作る。そして、マーケティングも販売も自らの手で行う。「今後も、その夢を追いかけ続けます」(新井氏)。
(三浦 優子=フリーライター)
|