今回(最終回になります)は、「Dave Walotatter」さんの、ネットと現場の間での悩みから。
オイラは現場と対極にオンラインコミュニティを置くことで価値を見出そうとしていました。
でも、どうやら間違いらしい…。
じゃあどうすれば…(思いついたらどんどん追記します)。
(Dave Walotatter)
MOMOさんのコメント
現場とは? ネット上のことでしょうか?
Dave Walotatterさんのコメント
この場合、現場とはネット外のことを指します。
sh-katoさんのコメント
うむぅ…。場が違うんだから、同じ表現をしても異なる受け入れられ方するよねぇ。
現場でしかできないこと・ネットでしかできないこと・現場でもネットでもできること(でも実はそれぞれ違うこと)があるから、そもそも対決して見出だそうという価値自体、比較できる質のものであるのかどうかねぇ…。さらに、対極にあるものであるかどうかも疑わしいし。
世話人さんのコメント
現場とネットの二元論【対決】じゃなくて、バランスじゃないのかな? 結果として個人としての(情報の)リテラシーはそう簡単に成長するもんじゃないよね。現場とネット、そこにいる自分が学び(知り)、教える(伝える)ことを通して、自分と自分を取り巻く環境が共に成長している愉しみを共有していけばいいんじゃないかと思うんですけど。そのときの時間軸があまりに自分ペースで、周りが速すぎると孤独になりますよ。
koss-exclusiveさんのコメント
>リテラシーはそう簡単に成長するもんじゃないよね
ですね。あちこちでいろんな形のオンラインコミュニティがあって、割と外からも見えるじゃないですか?
誤解を恐れずあえて書くと、コミュニティごとのレベルの違いが恐ろしいほどに見えちゃいます。リテラシーの違いがあからさまに出てくるような装置がみんなに与えられてしまったような。
田邊@nikkeibp.jpのコメント
オンラインだろうとオフラインだろうと、その「場」にいるかどうか、いたいと思うか、入っていきたいと思うか、ということだと思います。
その人がそこで何を体験するか、それをどう咀嚼するか、という。
現場にいないと分からん、というのは、ここ(関心空間)にいないと、ここのことは分からんのと同じではないかなあ?
ここにいるんだけど、オフのセミナーに行けなかった。だから、そのセミナーの空気は分からん、というだけで、、、。
オフで何があったかとか、その空気を知りたいとは思うかもしれないけれど、それを伝えることの義務を負っている人はいないし、伝えることを強要することもできない、と思うんです。 もちろん、ネットがあるのだから、それを使ってできることもあるでしょう。伝えようとする人もいるかもしれない。伝えるべき内容もあるかもしれない。
それは、その場に何が共通認識として流れているか、その共通認識をだれが感じ取って伝えるという行動に移すか、ということですね。
kemekonnenさんのコメント
なんか難しい話?
セミナーの空気とかって、家で本で勉強するより学校の方が楽しいって、そーゆー話なら分かるんだけど。 人それぞれに映画に行ったりコンサート行ったり旅行に行ったりするモンだし。それって、圧縮されたり、他人のフィルター通った情報で魅力感じたり、物足りなかったりして行動するんだし、一緒じゃん。
でも、人のフィルターに興味あるんだったら、現地行くより先に同じモンを違う人がどう見ているかを調べまくったりして。図書館大好き。旅行よりお金かかんない。
勝ち負けだったら、ネットの勝ちだよ。おもしろいもんばっか選り好みして見られるし、ラーメン喰いながらこれ書き込んでるし。
パソコン通信無かったら、コンピュータに詳しくならなかったし、プラモやモデルガンの趣味も続けられなかったかもしんない。ネットコミュニティがあったから、濃い友達と10年来ただ趣味が同じだという一点のみで、信頼関係を結んでいる。
けどさ、たまに会ってズルズル話を発散させる会話をしたくなる。趣味から始まるけど、発散してくとただのオヤジな不健康展覧会になったりするんだけど、それも楽しい。
掲示板やチャットで、すっかりお互いのことを知り合ってるから、ちゃんと友達だし。
そーゆー単純な問題じゃないの? 相互補完+αな関係なんだから、わざわざ切り離して2個にして縮めることないじゃん。
Dave Walotatterさんのコメント
みなさんどうもです。
>相互補完+αな関係なんだから、わざわざ切り離して2個にして縮めることないじゃん。
わざわざ切り離して考えたいと思ったのでこんなキーワードになりました。縮めるつもりはまったくなくて、とりあえずごっちゃになっているので分けてみました。…で、皆さんの言ってることは『そのとおりだよな』と改めて思いました。
>誤解を恐れずあえて書くと、コミュニティごとの
>レベルの違いが恐ろしいほどに見えちゃいます。
>リテラシーの違いがあからさまに出てくるような装置
>がみんなに与えられてしまったような。
に集約されることなのかなと。結局お互いに必要なときは必要で、いらないときは要らない。ただ、そろってるとシナジーは生まれるでしょうと。しかしながらリテラシーの違いが如実に分かってしまうコワサ(漠然とですけど…)がある。そしてそのコワサを自分なりに噛み砕いて飲み込んだ上で楽しめれば、それはそれでいいのではないかということ…なのかなぁ(まだモヤっとしてますが…)。
サラDESネンさんのコメント
上がって降りて、上がって降りて、のスパイラルでしょうか、、、。
ネットからリアルへ降りてきて、また上がって、降りて、、、。
ネットとリアルのシナジー(相乗効果)ですが、シナジーは難しいんですよ。「2人3脚」よろしく、ほとんどのケースは、スピードは落ち、結果転ぶ。
千三つということがよく言われますが、万が一に近いと思いますね。
価値生成は、その人の中に存在するものだし、、、。
Dave Walotatterさんのコメント
>価値生成は、その人の中に存在するものだし。。。
だとすると、シナジーを生んでるかどうかも自身の中の価値形成の段階でしか分からない。僕の中ではシナジーは生んでいると思いました。そしてそれは僕以外には理解できない部分があることも。でも、それでいいんだろうなと感じています。無理に共有する必要もないんだなと。
>結果転ぶ
のは無理に共有しようと無意識に強要しようとするからなんでしょうね。僕は危なく転ぶところでした。
田邊@nikkeibp.jpのコメント
その人の価値は、その人が自分について考えているものと、他人がその人に対して感じているものは違うしねぇ、、、。
Dave Walotatterさんのコメント
まぁ考えすぎたら疲れるだけだよって思ってますよ、今は…。
田邊@nikkeibp.jpのコメント
考えないのもイカンが、考えすぎはもっとイカンですね、、、。
kemekonnenさんのコメント
自分の中にシナジーは生まれたし、恩恵被ってるけど、逆に自分がシナジーを生み出しているのか、または、なんらかの価値をそのコミュニティに与えているのか。そこんとこが、常に立ち止まって考えさせられるトコだな。自分の場合。
Dave Walotatterさんのコメント
たぶん一緒ですよ、僕も。そしてなんらかの価値を与えてたとしても、それは自分には見えないものかもしれない。そう割り切れるかどうかがキモなのかも…。
kemekonnenさんのコメント
そいつは割り切らないで、ジタバタするですよ。ってか、割り切れなくてジタバタしてる。んで、ジタバタしながら月日はたち、いつのまにやらジータンバータン。ジタバタしてる間は考えなくてすむし。