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マンションの林立や転勤族の増加で町会は組織率が下がり、町会長の高齢化も相まって、衰退傾向にある。また、コンビニや大型のショッピングモールの影響で商店街はそこここで壊滅状態だ。だから、子ども達が学校から家に帰る途中に寄る居場所がない。昔ならいた、けっこう危ない遊びを教えてくれる近所のお兄ちゃんや、やたら面倒見のいいお姉ちゃん、魚屋のオジさんや、駄菓子屋のオバちゃんもいない。イタズラしては怒られた空き地の横に住むおじいさんとも、いつも縁側でお茶を飲んでは子ども達の野球プレイをいちいち褒めてくれたおばあちゃんとも出会えない。

子ども達が学校帰りに出会うのは、コンビニ、ファストフード、マンガやビデオのレンタルショップ、そして100均ショップの店員だけ。ショップのお兄ちゃん、お姉ちゃん達は、子ども達を「お客さん」として大事にしてくれることはあっても、人間として付き合い、もんでくれることはない。

こうして「地域社会」も、子どもを大人にするための社会化装置としての役割から降りてしまった。

結局「学校」が、最後の砦(とりで)になった。“3人”で分担していた子育ての仕事を、“1人”でやらなければならなくなったのだ。

ところが、今も昔も公立校の教員の人数は全国70万人と変わっていない。だとすると、子どもに対する保護者の期待が変わらないとすれば、学校は子どもの社会化について、3倍の仕事を抱え込むことになったともいえる。

親は「社会化」したのだろうか?

小中学生の保護者の大半も十分に社会化されずに大人になった。「自分の気持ち至上主義」で生きてきた世代だという指摘もある。だから「自分の子だけはよく面倒を見てほしい」という学校に対する期待が限りなく高くなる。教員を始めからなめてかかるクレーマーも増えてきた。

「保護者の期待が変わらないとすれば」と上に書いたが、じつは、保護者の期待が変わらないわけはない。子どもが減れば、期待は当然、高まるのだ。

ときに教員が漏らす「子ども達の背後にいるのは親ではなくて子どもっぽい大人だから、子どもが2人いるようなものなんですよ」という悲鳴にも似た感想にもうなずけるものがある。

子どもの社会化を引き受けることをせず、基礎学力の定着や生きるチカラの養成を含めて、学校に丸投げ気分の親も多い。だから、いきおい学校の負担は大きくなる。責任感の強い教員ほどまいってくる。教頭のじつに10人に1人が、過労で精神的にも厳しい状態だという報告もある。

場当たり的な追加教育がもたらす膨大な机仕事

教員に、余計な仕事が増えている。

中学校の数学科で、バスケット部の顧問でもある先生が2年D組を担任していたとしよう。この先生の仕事のほぼ100%は、数学という教科を教える「教科指導」と、バスケットとクラス運営と行事を中心とした「生活指導」に費やされているのが健全な姿だ。そのほかに給食費の徴収や修学旅行の実地調査、「数学検定」など資格検定試験の手配や学内の会議など学校の事務処理(校務分掌と呼ぶ。詳しくは第3回で触れる予定)や学外の研究会への参加が発生する。理想的には、授業6割、生活指導2割、事務と研究で2割ずつというところだろうか。

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