西武のカリスマ・堤義明氏による支配の構図
(松崎 隆司=経済ジャーナリスト)
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2世経営者でありながら、西武グループの総帥としていかんなくその力を発揮してきた堤義明氏。積極的なリゾート開発で、西武グループを一時は世界的な企業にまで成長させた。しかし社長に就任した直後は、必ずしも大きな力を持っていたわけではなかった。
「義明氏は、父・康次郎氏が亡くなった時点では、全く自己名義の株を持っていなかったと思います」
コクド元社長の中島渉氏はこう語る。1966年、中島氏をはじめとする複数の幹部は、義明氏から「俺は自分の土地も家もないんだよ」と打ち明けられたのだという。
そこで中島氏たちは「コクドの代表取締役である義明氏が、自己名義の株を1株も持っていないのは不自然であると考えて、義明氏名義の株を作るよう薦めました。このとき初めて、義明氏名義の株が作られたと思います」
中島氏たちは、東京・広尾にある康次郎氏の屋敷内に家を持つようにも勧めたという。
しかし義明氏は、広尾の屋敷には、兄・清二氏の母である操夫人がいるから遠慮したという。そのため中島氏らは、プリンスホテルが所有する南麻布の土地(現在、フィンランド大使館と料亭有栖川・清水が建っている土地)を勧めた。だが最終的には、神奈川県・大磯にあったコクドの土地を義明氏が購入し、義明氏名義の家を建てたという。
その後、義明氏は名義株を手に入れつつ権力を握っていった。ではどのようなプロセスで名義株を手に入れたのだろうか。
幼少時から厳しく育てられる
義明氏が生れたのは1934年。康次郎氏と恒子夫人との間に生まれた長男で、次男には豊島園前社長の康弘氏、三男には猶二氏がいる。
義明氏は、広尾にある堤邸近くの麻布・高樹町に住み、幼少のころから厳しく教育されたという。麻布中学時代には、堤邸にある柔道場で、康次郎氏によって厳しく鍛えられた。早くから帝王学も学んだ。
早稲田大学時代には西武系の会社に入り、事業所を持たせてもらった。ここを基盤に、「大磯ロングビーチ」など、自ら構想した事業を実践していった。
このとき、周囲の役員からは「時期尚早ではないか」との指摘が相次いだ。だが康次郎氏は「社会勉強のための月謝だ。赤字になってもいい」と語ったという。ただし大磯ロングビーチは、5〜6年は赤字が続いたものの、その後黒字化している。
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