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堤康次郎氏の経営と西武グループ

2006年1月25日

(松崎 隆司=経済ジャーナリスト)

(前回記事はこちら

総会屋に対する利益供与事件から経営危機にまで陥った西武グループ。創業者である堤康次郎氏は、いち早く土地開発に目を付け、一代で巨大企業グループを作り上げた立志伝中の人物だ。だが、その一方で「土地を二束三文で買い叩き暴利をむさぼる」、「税金を払わない」、「過小資本と複雑な資本構造」といったダーティーなイメージが付きまとう。現在、西武グループが直面している危機も、その元凶は、康次郎氏が作り上げられた仕組みにある。

堤康次郎氏の経営とは、どのようなものだったのだろうか。

事業の失敗は数知れず

康次郎氏が本格的に事業に乗り出したのは早稲田大学在学中のことだ。後藤毛織の株主総会に出席し、乗取屋に追及されていた社長を弁護した。これをきっかけに後藤毛織の株式を取得し、5000円の元手を6万円に増やした。さらに、この6万円を元手に三等郵便局長の権利と渋谷の鉄工所を手に入れた。大学卒業後も次々に事業を展開する。

ただし、康次郎氏が事業で成功するのは戦後のこと。戦前は、何度も倒産の危機に直面した。

買収した鉄工所は注文先の倒産やずさんな経営で倒産。続いて、石炭の掘削に進出するが、搬送手段がなく失敗。大隈重信の要請で雑誌「新日本」の経営に携わったものの、返本が相次ぎ、廃刊となった。

1918年には、第一次世界大戦の好景気に目を付けて、名古屋の海運業者である波越汽船を買収し、海運業に進出した。しかし、石炭の積み出しのために名古屋から室蘭に向かう途中の船が、行方不明になってしまった。

真珠王・御木本幸吉氏の向うを張って鳥羽で真珠の開発をしたこともあった。これも、うまくいかなかった。

度重なる失敗の中で康次郎氏は、「自分は世の中に生きている値打ちのない人間なんだ」と思いつめることまであったという。そんな中、決断したのが不動産の開発事業への進出だった。

不動産業に転進して運をつかむ

当時の不動産事業は、特定の支配者がいるわけではなく、自由に事業を展開することができたからだ。今で言うベンチャービジネスだった。

最初に着手したのが軽井沢のリゾート開発である。これが成功し、箱根の開発にも着手できた。1919年に箱根・強羅の土地10万坪を取得。本格的な箱根開発に着手するために、1920年、箱根土地(現コクド)を設立した。その後、芦ノ湖の湖上交通にも着目、箱根遊覧船を買収した。さらに湯河原、三島、伊豆半島にまで開発を拡大。1921年には、沼津と三島を結ぶ唯一の交通網である駿豆鉄道を買収した。

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