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2004年末がいちばんきつかった

金田氏が語った現地採用には8000人を超える応募があった。20人ほどの採用枠だっただけに、実に400倍の競争率。この難関をくぐり抜けた人たちも立派だが、採用する側とて大変な作業量だったことは容易に想像できる。

だが、金田氏に本当にタフな日々がやってきたのは年末だったという。

「正式に楽天イーグルスの営業の仕事を任されてから、ヤマは三つありました。年末が最初のヤマ。次がキャンプ開始まで、三つめが開幕までの営業活動でした。でも、今振り返ってみると昨年末が、やっぱりいちばんきつかったかな(笑)」。

当初は孤軍奮闘。たった1人で営業活動を始め、1カ月後には「もらった名刺が500枚を超えていた」という。

「まあ、途中から営業担当者も入社してきましたし。それ以前に一人で現場をがんがん飛び回ったのも、楽天時代には遠ざかっていただけに、むしろ楽しさがありましたよ」。

朝の8時台から夜中の2〜3時までが仕事。もちろん休日も全くない毎日が続いた。しかし、苦しんだのは量的な忙しさではなく仕事の中身だった。まったく未経験の領域だったため「スポーツ・ビジネスにおけるプロモーションとは」という基本の基本から学びつつ仕事を進めたという。そのうえ「時間がない!」という切迫感がいつも付いて回った。

「普通、スポーツ・ビジネスの営業というのは、スタジアムのフェンスやスコアボードなどに掲示する広告や看板類のスポンサーを取る、法人対象にシーズンシートの契約を取る、といった仕事がメインになります。でも、参入が決定した2004年11月の段階では、まだ球場がどうなるのかさえ決まっていなかった。県営宮城球場(現フルキャストスタジアム宮城)をメインスタジアムにすることは決まっていても、この球場をどう改築するかについては、プランが何度も変更になった。肝心の商品の姿形が見えないのですから『売る』のは難しい。だからと言って、形が見えてきてから動くのでは広告の制作などが間に合わない。そうしたジレンマ続きでした」。

「楽天イーグルス立ち上げ奮闘記」は全12回連載です。毎週月・水・金に更新。次回は、10月12日(水)に掲載する予定です。

森川 直樹

立教大学経済学部卒業後、フジサンケイグループ、講談社グループを経て独立。ビジネス誌を中心に活動しつつ、一般誌、女性誌でも幅広いジャンルを手がけている。

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