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観客は席を立たなかった

さて、島田社長に「今シーズン、最も感動した瞬間は?」と尋ねると、「うーん、いろいろあったからねえ、1番は何だったのかな」と、しばし考え込んだ。そうして出した「やっぱり、あの日かな」という答はちょっと意外なものだった。

「あの日」とは5月6日、読売ジャイアンツ戦だ。公式戦の初戦でも、本拠地第1 戦でもなく、今年からスタートしたセパ両リーグの交流戦での出来事を島田氏は「最も感動した瞬間」として挙げた。交流戦の開催は今季行われた数々の「プロ野球改革」の中でも、とりわけファンから好評を得たもの。しかし、島田氏がこの日を挙げた理由は、そうした意義とは別のところにある。

「9回裏、巨人に6点も差をつけられた最終回のことでした。普通なら『今日はもうダメだ』と諦めて、イーグルスのファンの大半が家路についていても不思議じゃあないはずですよね。なのに、クリムゾン・レッド(楽天イーグルスのチームカラー)のポンチョ(当日入場者に無料で配られていたもの)を着たファンが、試合開始時とほとんど変わらない人数で、一生懸命に応援してくれていた。家に帰らないでいてくれたんです。その光景を目の前にしたときはぞくぞくしましたよ。しかもロペス選手が満塁ホームランを打って、球場中が総立ちになる。打った本人も涙を浮かべて喜んでいる。『あ、これだな』と思い、感動したんです。試合は負けてしまったけれど、僕たちが目指すべきものが、まさにそこにあったんです」。

仙台駅やメインストリートなど、今や街のあちこちにクリムゾン・レッド(イーグルスのチームカラー)の旗が並んでいる。

「ファンとプレーヤーとフロントの三者が満足できる野球、満足できる経営」と語った理想が、この日、ほんの少しかもしれないが姿を垣間見せた。そして「素晴らしく面白い仕事をしている」という確信を40歳の球団社長は肌で感じた。

「ITの楽天なのだから、ITを駆使した事業やファンサービスをどんどんやっていくんでしょ、という質問をよく受けます。もちろん親会社が持っている強みを活用しない手はないし、少しずつ始めてもいます(動画によるリアルタイム中継、おサイフケータイを使った球界初の電子チケット・サービスなど、既に複数の試みが行われている)。でも、僕たちの最優先の課題は『あの日』のような試合を数多くファンに提供して、満足してもらうこと。選手も僕たち自身も満足できる事業にしていくことだと思っています」。

ITはもちろん重要なツールであり、他球団との差別化にもつながる。だが、それはあくまで手段の一つ。球団経営が目標とするのは、「期待に応え、満足を提供し、愛されるチーム」を作り上げることなのだと、島田社長は何度も強調した。

島田亨(しまだ・とおる)
1965年生まれ。東海大学文学部広報学科を卒業した1987年に、在学中から仕事に参加していたリクルートへ入社。早々に営業成績全国トップに輝くなど活躍。1989年には人材紹介会社インテリジェンスを創業、1995年には同社取締役副社長に就任。2000年にシーズ・ホールディングスの代表取締役に就任すると、以後2004年までの間に複数の企業で経営に参加しつつ、投資家活動を展開。2004年10月、楽天野球団に迎えられ、副社長を経て代表取締役社長に就任。現在に至る。

「楽天イーグルス立ち上げ奮闘記」は全12回連載です。毎週月・水・金に更新。次回は、10月5日(水)に掲載する予定です。

森川 直樹

立教大学経済学部卒業後、フジサンケイグループ、講談社グループを経て独立。ビジネス誌を中心に活動しつつ、一般誌、女性誌でも幅広いジャンルを手がけている。

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