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興行大失敗、でも“博打”に成功

2006年1月19日

(取材・文=梶山 寿子)

石川光久は、映画『イノセンス』(2004年3月公開)の成功に、プロダクションI.Gの社運を賭けていた。

ジブリの鈴木敏夫プロデューサーに援軍を頼んだことは、石川の不退転の覚悟の表れだろう。おかげで最強の宣伝キャンペーンを展開することができた。

だが、タイトルが『攻殻機動隊 2』から『イノセンス』に変わったことで受けた打撃も、また大きかったのだ。

当初は、テレビシリーズやゲームと合わせて、『攻殻機動隊』シリーズとして映画を売っていく準備を進めていた。ところが、映画のタイトルが変わり、パートナーを組む企業も入れ替わったことで、すべては水泡に帰したのである。

「そんなにお客が入る映画じゃない」

石川が言う。

「映画を『攻殻機動隊』と切り離したことは、ほんとうに辛かった。石川の立場はどうなるんだ、と…。それでも自分としては、相手を立てることでなんとか収めてきた。事情を知る人には、『石川だったから、まとまったんだね』と言われたよ」

つまり、プライドは捨てて実を取ったということ。それが石川流のビジネスなのだ。

だが、『イノセンス』は大きなブームを巻き起こすには至らず、興行収入10億円という結果に終わった。興収50億円という目標からすると、「興行的には惨敗」と総括されても仕方がない。

実は、この程度しかヒットしないということは、石川も押井監督も事前に覚悟していたらしい。

キャンペーン中は、メディアに対し強気の発言を繰り返していたが、心の底では「これはそんなにお客さんが入る映画じゃない」と冷静に判断していたのだ。

それがはっきりしたのは、「0号試写」(*)のときである。

押井監督と二人だけになったとき、石川はこうつぶやいた。

「押井さん、これは(製作費の)回収に10年かかるよ。…もう、腹くくったから」

そのとき押井監督はどう思ったのか。

「『10年かかるよ』って石川に言われたとき、『悪ぃな』と思った。その一方で『しめしめ、よくぞ覚悟してくれた』って(笑)。僕はもっと早く気がついていたから、ちょっとほっとしたのが正直なところなんだよ」

* 0号試写:関係者が映画の仕上がりをチェックするため、編集後、はじめて行われる試写のこと。

next:『イノセンス』がI.Gのブランドを高めた…

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