興行大失敗、でも“博打”に成功
(取材・文=梶山 寿子)
石川光久は、映画『イノセンス』(2004年3月公開)の成功に、プロダクションI.Gの社運を賭けていた。
ジブリの鈴木敏夫プロデューサーに援軍を頼んだことは、石川の不退転の覚悟の表れだろう。おかげで最強の宣伝キャンペーンを展開することができた。
だが、タイトルが『攻殻機動隊 2』から『イノセンス』に変わったことで受けた打撃も、また大きかったのだ。
当初は、テレビシリーズやゲームと合わせて、『攻殻機動隊』シリーズとして映画を売っていく準備を進めていた。ところが、映画のタイトルが変わり、パートナーを組む企業も入れ替わったことで、すべては水泡に帰したのである。
「そんなにお客が入る映画じゃない」
石川が言う。
「映画を『攻殻機動隊』と切り離したことは、ほんとうに辛かった。石川の立場はどうなるんだ、と…。それでも自分としては、相手を立てることでなんとか収めてきた。事情を知る人には、『石川だったから、まとまったんだね』と言われたよ」
つまり、プライドは捨てて実を取ったということ。それが石川流のビジネスなのだ。
だが、『イノセンス』は大きなブームを巻き起こすには至らず、興行収入10億円という結果に終わった。興収50億円という目標からすると、「興行的には惨敗」と総括されても仕方がない。
実は、この程度しかヒットしないということは、石川も押井監督も事前に覚悟していたらしい。
キャンペーン中は、メディアに対し強気の発言を繰り返していたが、心の底では「これはそんなにお客さんが入る映画じゃない」と冷静に判断していたのだ。
それがはっきりしたのは、「0号試写」(*)のときである。
押井監督と二人だけになったとき、石川はこうつぶやいた。
「押井さん、これは(製作費の)回収に10年かかるよ。…もう、腹くくったから」
そのとき押井監督はどう思ったのか。
「『10年かかるよ』って石川に言われたとき、『悪ぃな』と思った。その一方で『しめしめ、よくぞ覚悟してくれた』って(笑)。僕はもっと早く気がついていたから、ちょっとほっとしたのが正直なところなんだよ」
* 0号試写:関係者が映画の仕上がりをチェックするため、編集後、はじめて行われる試写のこと。
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