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『攻殻機動隊』続編が『イノセンス』になった理由

2006年1月12日

(取材・文=梶山 寿子)

ハリウッドで、ドリームワークスとの契約をまとめ上げた石川光久は、日本に戻り『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』の続編の制作に取りかかった。

CGを駆使した斬新な動き。実写と見分けがつかないような緻密な映像美…。そんな作品を完成させるには、想像を超える時間と労力が必要である。およそ2年半続いた制作現場は、まるで地獄のようだったという。

だが、血のにじむような苦労をしたのは現場だけではない。

石川が言う。

「『作るのが大変でしたね』ってみんなに言われるけど、本当に大変なのは、作ることではなくて契約関係。頭がいい人なら、こんな企画には絶対に手を出さない。のちのちどれだけ面倒くさいことになるか想像がつくもん」

おそらく、スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーに協力を仰いだことが、運命の分かれ道となったのではないか。

押井守監督と鈴木プロデューサーが20年来の親友ということもあり、本作の日本における配給と宣伝は鈴木プロデューサーに任せることになった。これが石川にとって力強い援軍となると同時に、厳しい試練ともなったのだ。

ジブリの鈴木プロデューサーがもたらした戦略転換

事の発端は、本作をまず海外でヒットさせるという戦略を、鈴木プロデューサーに一喝されたことだ。

「ハリウッドで金を集めたからって、いい気になるな。日本のお客さんに向けてきちんと商売しない作品を海外に持って行くなんて甘い!」

大物プロデューサーのそのひとことで、「目が覚めた」と、石川は懐述する。

最初は、片道の燃料だけ積んで飛び立つ特攻隊のつもりだった。そんな決死の覚悟の石川を、鈴木プロデューサーはこう言って叱った。

「ばかやろう! じゃあ帰りの燃料は俺に任せておけ」

むろん、誰にも頼らず「製作総指揮・石川光久」で行くという選択肢もあった。だが最終的には、作品の成功のため、鈴木プロデューサーの申し出を受ける決断をした。宣伝や配給に関しては、経験も実績も鈴木プロデューサーに遠く及ばないことを、石川自身がいちばんよくわかっていたのである。

だが、鈴木プロデューサーの参加で、石川が当初描いていた戦略は大きな変更を余儀なくされる。

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