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「作品へ出資」という仰天手法で下請けから脱皮

2005年12月1日

(取材・文=梶山 寿子)

石川光久率いるプロダクションI.Gは、会社を設立して間もない時期に『機動警察パトレイバー 劇場版』(1989年)の制作を手がけた。そのとき押井守監督は、プロデューサーとしての石川を高く評価したのである。

だが、「最初はまずい別れ方をしたんだよ」と押井監督は言う。

二人の“冷却期間”の真相

「作品が終わったとき、石川から『もうアンタとは2度とやらん!』と言われたんだ。残念だけど、石川がそう言うんならしょうがないなって思った。このスタジオは好きだったからね」

制作の過程で、「あいつにはこの仕事は無理だから」と人事に口を出したり、社内の体制や序列を壊すなど、押井監督は容赦ない要求もした。だから石川が腹を立てたのだと、押井監督は思っていたらしい。ところが石川本人はそれを否定する。

「それは違う。自分もまったく同じように思っていたし、石川が言えないことを押井さんが言ってくれたから、むしろ感謝してるよ」

距離を置くことを決断したのは、「このまま押井守に寄りかかってはいけない」と考えたからだ。

「当時から押井さんのことは人間的に好きだった」

と石川は言う。

「ただ一つ、押井さんには“作りたい映像”がある。その中心がブレてない。そこにほれたんだよ」

だからこそ、もっと力をつけた上で、改めて押井守と組みたいと思った。そうしなければお互いにダメになってしまうと考えたのだ。

『パトレイバー』の後、『アルスラーン戦記』(91年)『風の大陸』(92年)など、I.Gには劇場作品の仕事が次々と入ってきた。それを着実にこなすうちに自信が付いた。「世界一の下請けになる」との意気込みが通じ、業界の信用を築くこともできたのだ。

押井監督のラブコール

そして4年後、“再会”の機会が巡ってくる。

劇場版『パトレイバー』続編の企画が持ち上がったとき、押井監督は、製作側のバンダイビジュアルに対し、こう言ったという。

「制作はI.Gでやる。それが絶対条件だ」

next: ラブコールを受け…

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