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命を賭けた『ジリオン』、そして会社設立

2005年11月17日

【前回のあらすじ】
 約10カ月の放浪の旅を経て、石川光久はタツノコに戻った。その後、テレビシリーズの制作デスクを任されるなど徐々に頭角を現していく。しかし、会社は経営難に陥り、優秀な人材がどんどん辞めていった。奮起した石川は、独立して『赤い光弾ジリオン』シリーズを自分の手でプロデュースしようと、案をまとめ経営層に訴えたが、聞き入れられなかった。

タツノコの上層部はテレビシリーズ『赤い光弾ジリオン』の制作を石川に任せようとはしなかった。だが石川はあきらめなかった。「どうしてもやりたい。やらせてください」と食い下がった。

その後、曲折を経て、石川にチャンスが回ってきた。最終的に、監督以下、スタッフの良さが評価されたのだ。

1年間の真剣勝負が始まった。

「もう意地で作った。命を賭けたって言ってもいい。石川に任せるのを反対したヤツらを見返してやる、って気持ちがあったから…。予算のやり繰りとかたいへんだったけど、それを苦労だとは思わなかったね」

フリー・プロデューサーとなった石川が仕切る制作現場は「タツノコ制作分室」と呼ばれた。それがのちのI.Gの土台となるのだが、この時点では、全力投球で『ジリオン』を作り終えたら、石川はアニメ界を去るつもりでいたという。

だからこそ、持てる力のすべて、いやそれ以上の力を絞り尽くしてこの作品に取り組んだのだ。

結果的に作品は高く評価され、制作費も黒字で終わった。また、石川のためなら、何があっても駆けつけるという熱意あるスタッフとの絆も生まれたのである。

2004年5月、モナコでみちる夫人と。優れた起業家を表彰する『アントレプレナー・オブ・ザ・イヤー』日本代表に選ばれ、世界大会に出場した(中央が石川社長、右端が夫人)

next:『ジリオン』の成功は…

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