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放浪青年、冒険しない会社に奮起する

2005年11月10日

(取材・文=梶山 寿子)

周囲が石川光久を語るときに、必ず出てくるフレーズが「放浪」である。放浪時代のサバイバル体験が、現在の攻めのビジネス・スタイルを決定したというのだ。

押井守監督によれば、「あいつは根っからの“フーテン”。しかも最も気合の入ったフーテンだ」ということになろう。「石川に言わせるとね、道がまっすぐ続いていたらそっちに行きたくなるんだって。予定なんかない、放浪癖ってやつだよ」

職場に黙って放浪の旅に出る

石川は20歳の学生のとき、小田実の著書「何でも見てやろう」に触発されて、3カ月かけてインドを回った。帰国後、赤痢に感染していることがわかり、3週間病院に隔離される事態になったが、本人曰く「あの旅は修行みたいなもので、放浪として得るものはなかった」。それ以来、ぽーんと放浪に出るというのは、「自分の中の宿題だった」という。

だから、『黄金戦士ゴールドライタン』のテレビシリーズが1本終わったところで、石川はタツノコから姿を消した。アフリカに向け、単身旅立ったのである。

「タツノコでの仕事は楽しかった。辛いことなんてなくて、むしろ楽しいことしかなかったよ。でも、『今やれることを今やりたい』と思った。だって、守るものなんて何もないしね」

タツノコの仲間には誰にも相談せず、石川は黙って消えた。

アフリカ・ケニアを振り出しに、ソ連(当時)、ギリシャ、イスラエル、エジプト、中国と回って10カ月後に帰国。ケニアで高山病になりかけ、イスラエルではキブツで働くという、波乱万丈の放浪の旅だった。

真下監督に誘われ、再びアニメの現場に戻る

東京に戻っても、石川は、タツノコの職場には顔を出さなかった。ところが、国分寺の駅前をプラプラ歩いているとき、偶然、真下耕一監督に再会したのである。

「またテレビシリーズをやることになったから、おまえも来い!」そう真下監督に誘われて、石川はアニメーションの現場に戻った。真下監督に見込まれていたこともあって、今度はバイトではなく社員として復帰したのである。

next: まさに運命の再会…

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