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真下監督は言う。

「飄々(ひょうひょう)とした感じは、今とまったく変わらなかった」

「石川は人に好かれていたし、存在を認められていた。それはこの世界では重要なこと。それが最初からできていたんです。当時は新人だし、制作として特に優秀というわけではなかった。でも、とにかくスタッフとよく話をする。だから、『何か困ったことがあったときは、石川に頼もう』と、頼りにされていました」

徹夜で仕事をしているスタッフのところにふらりとやって来ては、明け方まで話し込んで帰って行く。一見すると、ただの無駄話。「何しに来たんだろうね、石川は」と、怪訝(けげん)な顔をする人もいたというが、そんな深夜の会話をヒントに、頭の中で彼なりに次の仕事の段取りを組み立てていたのだ。

「人をよく見ているから打ち合わせがうまい。これはもう天性のもの。誰かに言われてできることじゃない」

そう真下監督も舌を巻く。

車人形一座から破門される

このとき制作していたのは、『黄金戦士ゴールドライタン』(1981年 監督・真下耕一)というテレビシリーズだ。激務のため徹夜になることもしばしばで、車人形の稽古(けいこ)に通えなくなった石川は、師匠に破門されてしまう。そのときには既に、車人形よりタツノコでの仕事のほうに魅力を感じていたのだ。

「車人形」の黒子から、アニメ制作の黒子への転身。

ひどく畑違いのようだが、押井守監督によれば、アニメーションも、ある種の人形芝居なのだという。キャラクターという“人形”を人間が動かして、お芝居を見せる。そう考えれば、何も知らず飛び込んだアニメの世界も、石川を引きつける必然性を持っていたのかもしれない。

後に石川はこう語っている。

「この仕事をするようになって、アニメーションも見るようになったし、押井さんが思っているほど、アニメは嫌いじゃない(笑)。それにオンリー・ワンのものを作りたがってる人間(クリエーター)はいっぱいいても、それが作れるような環境を設定しようとする人間はあまりいない。自分はそこにはまったんだよ」

梶山 寿子

神戸大学文学部卒業。テレビ局勤務を経て、ニューヨーク大学大学院に留学し、メディア環境学を専攻。92年修士号取得。読売新聞米国現地版で記者として勤務した後、フリーになり、日米で取材、執筆を続ける。98年に帰国、社会・家族問題、ビジネス・トレンド、人物ノンフィクションを中心に、幅広い分野で執筆。TVコメンテイターとしても活動中。特に近年はアニメーションをはじめとするコンテンツ・ビジネスの取材に力を入れている。主著に、スタジオジブリのビジネスを追った『ジブリマジック』(講談社)、『家族が壊れてゆく』(中央公論新社)、『子どもをいじめるな』(文春新書)など。

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