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人形芝居からアニメ業界に迷い込む

2005年11月2日

(取材・文=梶山 寿子)

石川光久がアニメーション業界に足を踏み入れたのは23歳のとき。アルバイト募集広告を見て、制作会社「竜の子プロダクション(以下、タツノコ)」に入ったのがきっかけだ。

「マッハGo Go Go」「みなしごハッチ」「新造人間キャシャーン」など、タツノコは数多くの名作、ヒット作を制作してきた業界の大手だが、石川は事業内容もよく知らないまま、同社のアルバイト求人に応募した。社名に「プロダクション」とついているから、劇団関係の会社だろう、などと考えていたという。

アニメを知らず、“つなぎのバイト”感覚でタツノコに入る

当時、石川は「八王子車人形」(東京都無形文化財)という人形芝居の一座で修行をしていた。大学4年のとき、偶然「文楽」の公演を見て、人形浄瑠璃の世界にはまったのだ。そして地元にも人形芝居があると知り、車人形の師匠に弟子入りをした。

タツノコに入ったのは、一座が海外公演で留守の間の“つなぎ”のつもりだったのだ。

もともとアニメーションには興味がなく、テレビでも『あしたのジョー』や『巨人の星』くらいしか見たことがない。タツノコの代表作『科学忍者隊ガッチャマン』も実写だと思っていたほどだ。

好きな映画は今でも『男はつらいよ』シリーズだと言うから、その嗜好(しこう)は推して知るべし。

要するに、本人曰く「この業界に迷い込んだ」のである。

当時を知るアニメーション監督・真下耕一氏が語る。

「普通この世界にやってくるのは、アニメーションがすごく好きとか、学生のとき映画を作っていた、漫画を描いていた、という経歴の人ばかり。ところが石川の場合、まったく違うわけでしょ? 逆に『こりゃ、おもしろい』と思いましたね。『何しに来たんだ、おまえ』って言われながらも、みんなに好かれて、すぐに名前を覚えられた。当時から実にユニークな存在でした」

next: アニメーション制作とは…

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