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3歳半のときから「政治」を意識した

2008年3月17日
野田佳彦

(衆議院議員 野田佳彦)

父は富山県出身。農家の6人兄弟の末っ子として生まれました。自衛隊の前身である警察予備隊に入隊し、定年で退官するまで自衛官としての人生を歩みました。習志野駐屯地勤務の折に、母と出会い、結婚。母も農家の11人兄弟の末っ子でした。

この2人の間の長男として生まれたのが、私です。係累に政治家は誰もいません。そのような私が、初めて政治を意識したのは、3歳半のときでした。当時、日本社会党委員長だった浅沼稲次郎さんが、右翼の少年に刺されて亡くなるという事件が発生したのでした。テレビでニュースを見ていたときに、「政治家って大変ね」と、母がつぶやいたことを今も覚えています。保育園に通っていたときには、ジョン・F・ケネディ暗殺が起きました。「内外とも政治家は命懸けの仕事なのだ」と、幼児期には固く信じていました。

ところが、もの心がつくに従い、命懸けというよりも、己の損得、欲得で政治は動いているのではないかと、疑い始めました。千葉県では金権風土を象徴するようなスキャンダルが相次ぎ、中央でもロッキード事件などが起こりました。

ジャーナリスト志望が、偶然から松下政経塾入り

このような時代背景の中で、私は早大政経学部政治学科に入学しました。「田中金脈」問題を追及した立花隆さんのように、ペンで政治をただすジャーナリストになりたい、これが学生時代の私の「寸志」でした。卒業年次になり、大手のマスコミに就職しようと活動していたころ、「政治を正さなければ日本はよくならない」という松下政経塾の第1期生募集広告がたまたま目に入りました。2世や3世が幅をきかせている政界に、金もコネもない若者が挑戦するための登竜門かもしれないと思い、「ふと」応募してしまったことが、私の人生を大きく変えることになりました。

今でも、松下幸之助塾長との最終面接を鮮烈に覚えています。笑顔でお迎えいただきましたが、目は笑っていませんでした。むしろ、射抜くような怖い目つきでした。耳はとても大きくて、ピンと立っていました。しかも、こちら側に向いている。とても機能的に見えました。

「キミの身内に政治家はおるか?」
「まったくいません」
「そりゃ、エエな。ところでキミの家は金持ちか?」
「どちらかというと貧乏です」
「なお、エエな」

何が良かったのか、いまだにさっぱり分かりません。

が、こうして、政経塾で5年間、あるべき政治の姿を学ぶことになりました。

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