「不動産、PCショップからソフト会社」へと変身したソフトクリエイト
1971年に不動産業としてスタートしたソフトクリエイト。その後、パソコンショップ、システム機器販売、ソフトベンダーへと変身しながら成長を遂げた。2005年3月期に売上高69億9500万円、経常利益4億1000万円に達したソフトクリエイトの林勝社長に話を聞いた。
(聞き手:田中 克己=編集委員室主任編集委員、写真:厚川 千恵子)
──この5月に還暦を迎えた林は「経営はともかくスピードとチャレンジだ」と強調する。業態を変えながらも成長できた理由がここにある。

林 父が旧日本電信電話公社を退職した後、退職金を元手に分譲住宅の仕事を始めた。まず50坪の土地を購入し、2軒の建屋を建て販売する。次は100坪で4軒とどんどん増やしていった。私は当時、三井造船に勤めていたが、土日はその仕事を手伝っていた。生き生きと仕事ができて面白くなり、エンジニアよりも向いていると思い、三井造船を辞めることにした。宅地建物取引主任者の資格を取ったり、「300坪の畑を売って欲しい」と農家に交渉したり、本格的に分譲住宅の事業を手掛けるようになった。それがソフトクリエイトの前身の白坂産業で、父と一緒に興したといえる。
──ところが不動産の高騰、大手の参入などから事業転換を迫られてきた。そこで1983年に東京・渋谷にパソコンショップを開設した。
林 本当はソフト開発をしたかったが、SEもプログラマもいないし、もちろん顧客もなかったので別の事業と思っていた。そこでIBMや富士通、NECなどに勤める大学時代の友人達に相談したところ、「パソコンショップはどうだろう」と助言してくれた。仕入れルートも紹介してくれるし、参入もしやすかったこともあり、その事業をスタートさせることにした。NECがPC9801を発売した1年後だ。
当時、パソコン専門店はあったが、東京・秋葉原の家電量販店でさえ、まだパソコンは扱っていなかったこともあり、スムーズにビジネスが立ち上がり儲かった。私は大学時代にFORTRANを学んだので、BASICは簡単に使えた。自分で住宅ローンの計算や顧客管理のソフトを作ったこともあった。こうした経験からもパソコンはビジネスとして十分に使えると分かってきたので、85年に念願のソフト開発に乗り出した。ショップの収益をソフト開発につぎ込みながら、しばらく両方を手掛けた。とは言うものの、納期が遅れるなどトラブルもあり、数年間は真っ赤だった。
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