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「ソビエトの電話」にまつわるエピソードを思い出す

日本の米農政はまるでかつての社会主義社会のようだ。形式的に検査はするが、なにも問題点は指摘しない。ただ行って帰ってくることで、農政事務所の職員は給料をもらっている。

そこで僕の頭に浮かんだのは、1960年代後半に読んだ、埴谷雄高氏のソビエト紀行である。そのなかに「ソビエトの電話」にまつわるエピソードがあった。

モスクワの空港で、待合室に電話が置かれている。埴谷氏が電話をかけようと受話器をとっても、壊れているのかツーとも音がしない。当時のソビエトには、そういう光景が当たり前にあった。

すると、女の事務員がやってきて受話器をとり、なにかをしゃべっている。どうやら業務報告をしているようだ。「……以上であります」と言って受話器を置くと、事務員は帰っていった。それも一度ではない。

壊れていなかったのだと思い、埴谷氏はふたたび受話器を手にする。しかし、何度試してみてもやっぱり通じない。女の事務員は、だれも出ない電話にむかって業務報告をしていたのだ。

電話というのは相手に通じなければ意味がないはずだが、ソビエトの官僚組織では報告したという形式だけが重んじられる。報告の内容が向こうに届いていなくても、報告したという行為があればいい。それで物事が動いてしまう「滑稽さ」と同時に、「怖さ」を感じるエピソードである。

このエピソードは、ソビエト崩壊を予感させるものだった。農政事務所も、形式だけの検査をして帰ってくることが仕事になっている。なにかを発見してくることは、彼らにとって仕事ではないのだろう。国家も役所も、その終焉における風景は同じである。しかし、そのとばっちりで焼酎やご飯に毒が混じっては、国民はたまったものではない。

9月16日火曜日に開かれた第57回地方分権推進委員会で、農林水産省総合食料局食糧部の奥原正明部長を呼び、役に立たない地方農政事務所は要らないのではないか、と質した(委員会の動画はこちら 1:41:15ごろからです)。

猪瀬 直樹(いのせ・なおき)

作家。1946年、長野県生まれ。

1987年『ミカドの肖像』で第18回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。『日本国の研究』で1996年度文藝春秋読者賞受賞。以降、特殊法人などの廃止・民営化に取り組み、2002年6月末、小泉首相より道路関係四公団民営化推進委員会委員に任命される。政府税制調査会委員、東京工業大学特任教授、テレビ・ラジオ番組のコメンテーターなど幅広い領域で活躍中。東京都副知事。最新刊に『道路の決着』(文春文庫)がある。

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