妻・初代の存在を口実に、熱海へ
太宰はパビナール中毒だった。パビナールは、麻薬鎮痛剤の一種だが、依存性があるとも言われていた。昭和10年(1935年)、急性虫垂炎と腹膜炎を併発したときに使用して以来、太宰はパビナールに依存するようになる。
パビナールを打つ量は段々と増え、ついには1日50本にも達し、案じた周囲のすすめで、一時期、太宰は武蔵野病院にある麻薬中毒救護所に入院する。
退院後の太宰は、あるいは、芥川賞を逃したショックも引きずっていたのかもしれない。井伏鱒二にこう訴えた。
「(妻の)初代が邪魔でだめなんです。八畳間いっぱいに膨張して空間をふさいでしまう。熱海あたりに安くてよい旅館がありませんかね」
太宰は小さな旅館に逗留する。しかし、それで熱海を引き上げるわけではなく、原稿を出版社に送った後も、熱海に滞在し続ける。さらには、宿賃の高い村上旅館へと移り、しきりに呑み歩く。
にわかに胸騒ぎを覚えた初代は、太宰を兄と慕う檀一雄を訪ね、「熱海へ行ってください」と懇願する。初代から70円ほどを託された檀は、それを手に熱海へと向かう。
ところが…。当の太宰は、いいところを見せようと、熱海に着いた檀を連れ、呑み歩く。芸妓を呼んでの大騒ぎ。名の通った天麩羅屋では28円も支払い、初代から預かってきた70数円をたちまち蕩尽(とうじん)した。今の金額に換算すると、天麩羅屋だけでも14万円を使った計算になろうか。そして…。
「東京で工面して来る。その間、君はここに残っていろ」
そう言い残すと、檀ひとりを“人質”に旅館に残し、太宰は東京へと戻っていった。
東京に着いた太宰は、荻窪の井伏宅を訪れた。しかし、井伏も金はない。慎ましやかに生活する井伏に、太宰は借金の話をなかなか切り出せない。二人はただ、将棋を指す。次の日も、また次の日も、ただひたすら将棋を指す…。太宰は、無心を求めるタイミングを見つけられないまま、ついに年の瀬も押し詰まった12月28日を迎えた。と、その日、ものすごい形相をした檀が現れた。そこには、盤の前でただ凍りつく、太宰がいた。
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