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大正・昭和初期の愉快な生活〜大衆の時代を切り拓いたのは菊池寛だった

2008年5月21日

91年におよぶ歴史を刻み続けてきた女性雑誌の草分け、「主婦の友」の休刊には衝撃が走った。大正6年(1917年)に創刊されて以来、これまで、幾度となく時代の変化を乗り越えてきた同誌だが、ついに休刊。その背景には、「主婦像」の変化があるようだ。

大正初期に登場した「主婦」という言葉

「主婦之友」(創刊当時の表記)の創始者石川武美は、「主婦は一家を支える二つの柱、主人に対しての主婦」と宣言した。「主婦」は造語だった。

この雑誌が創刊される前は、結婚した女性は「婦人」と呼ばれていた。それは、女性雑誌のタイトル変遷からも見てとれる。創刊の年代順に示すと、明治25年(1892年)「家庭雑誌」、明治34年「女学世界」、明治38年「婦人画報」、明治39年「婦人世界」、明治41年「婦人之友」、明治43年「婦女会」、明治45年「婦女画報」、大正5年「婦人公論」。そして大正6年になって「主婦之友」が創刊された。

「婦人」の婦は、女と帚(ほうき)の合字。家のなかにいて掃除する女、つまり嫁の意である。「婦人」には封建的な意味が隠されていたが、「主婦」は大正デモクラシーの匂いが付着している。つまり「婦人」から「主婦」に昇格したのだ。それゆえ「主婦」は大正時代には新鮮に響いた。

「主婦」と聞くといまの人は「三食昼寝付の専業主婦」を想像するかもしれないが、当時の「主婦」はよく働いた。サラリーマンが月給取りと呼ばれ、職業全体ではまだ少数派だったこのころは、農家はもちろん、商店でも職人でも「主人」と「主婦」の労働実績が対等だったのだ。

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