災害復興の名のもとにつづく税金の無駄遣い〜雲仙普賢岳のふもとで
昨年夏、長崎県島原市を訪れる機会があった。1991年、普賢岳噴火に伴う火砕流や土石流の映像を覚えている読者もいるだろう。長崎県立の「雲仙岳災害記念館」を見学した。噴火の揺れを感じる装置や新幹線より速いスピードの火砕流を追体験できる仕掛けなど、よくできている。帰途、タクシーの運転手に訊ねると、土石流に埋まった集落と火砕流被害にあった小学校があるという。
「土石流被災家屋保存公園」は、土石流に埋まった被災家屋11棟を保存している。2階の屋根だけが地上に顔を出している家屋や、1階の部屋が泥に埋まってしまった家屋の様子はまさに遺跡であった。
旧大野木場(おおのこば)小学校校舎は日本で唯一の火砕流を被災した姿を遺す構造物である。火砕流の直撃をうけて全焼した鉄筋コンクリート建ての校舎を、当時のまま保存・公開している。ガラスは割れ、窓枠は変形。鉄骨とコンクリートだけ。広島の原爆ドームにあたる。校庭の隅には、黒くすすけた二宮金次郎像がもの悲しげに立っている。
中央官庁、その地方組織、県がほぼ同じ目的で複数の施設
この風景には、場違いな新しい建物が隣にそびえ立つ。鉄筋コンクリート造地上4階(地下1階)建てで、2階建て(一部3階建て)の廃校舎の脇で異様に映る。正式名称は「大野木場監視所」という。運営しているのは国土交通省の「九州地方整備局雲仙復興事務所」である。ホームページで以下のように建物の目的を説明している。
「噴火活動は終息して火砕流の心配はなくなりましたが、地震が発生した場合には溶岩ドームが崩落を起こす危険性がいまだ残っています。そこで、より一層 監視・避難体制 を強化し、工事従事者等の安全を確保するために設置されました」
建物が完成したのは2002年9月である。雲仙普賢岳が終息したのは1996年なのに、「監視」が目的とは奇妙というしかない。だから国土交通省はイメージの異なる通称をつけた。「大野木場砂防みらい館」である。来場者向けのパンフレットには「実物を見ることにより火山と人々の暮らしについて理解を深めていただくため」と書いてある。足を踏み入れても、災害写真のパネル展示があるだけでほかに客の姿もない。
県の災害記念館とは別に、雲仙普賢岳の学習施設はこれを含めて合計3つもある。国土交通省は「雲仙普賢岳資料館」をつくっているし、環境省は「平成新山ネイチャーセンター」を持っている。
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