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もうマドロスはいない

かつて、日活映画で小林旭がマドロス役を演じていた。コンピューターがない時代は、船員が人手で荷の積み降ろしをしていたのだ。いまのコンテナ船の乗員は20人くらい、基本的には操縦をするだけで、積み下ろしは、埠頭の要員が計算してやってくれる。とは言え、嵐になることもあるだろうから、決して楽な仕事ではないだろう。

昔の映画のように、港ごとに女が待っているなんてことはない。寄港しても、ほとんど上陸することもないそうだ。そうやって、10カ月くらい船に乗って2カ月休む。もはや小林旭はいない。

海運は大動脈、宅配便は毛細血管

驚いたのは、降ろした後の荷物の動きだ。膨大な荷物が高速道路に乗って各地の倉庫や工場に運ばれる。あるいは地域の物流センターを経由して、宅配便として個人宅へと配達される。海を大動脈にたとえるなら個人宅への配達は毛細血管だ。

熊谷や本庄、高崎には多くの工場がある。海を渡ってきた原材料は、いったん内陸の工場に運ばれ、加工されて商品となる。荷物を埼玉県熊谷市に運ぶ場合、トラックは早朝4:30に大井を出発。早くも6:55分ごろには熊谷市に到着する。われわれの生活はそうやって成り立っている。

東京は水運都市だった

ちょっと面白い話をしよう。現代の物流の主役は高速道路だ。大井から熊谷市までは高速道路を乗り継いでいく。しかし、もともと東京、江戸は水運都市だった。長野県や群馬県から、埼玉県深谷市血洗島まで、馬で荷を運ぶ。それを、利根川を使って江戸まで運んだ。利根川を下る荷を江戸市中に引き込みやすいように荒川をつくった。荷は、最後は皇居のお堀をぐるりと回り神楽坂に着く。人足が荷を担いで坂をのぼっていった。

江戸時代の中山道を一般国道とみれば、東名・中央高速の役割を果たしていたのは利根川ということになる。長野や群馬から荷を運ぶ馬はトラックで、利根川を下る船がコンテナ船という感じだ。ちなみに、血洗島は渋沢栄一の生地である。彼は、荷の動きを見、そこから資本主義を展望したのだろう。

その後、鉄道の出現により、国内の輸送手段は大きく変わった。いまは高速道路がかつての河川交通の役割を担っている。それ以上に、巨大コンテナ船は、現代の黒船のような蒸気船として七つの海を支配しているのである。

猪瀬 直樹(いのせ・なおき)

作家。1946年、長野県生まれ。

1987年『ミカドの肖像』で第18回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。『日本国の研究』で1996年度文藝春秋読者賞受賞。以降、特殊法人などの廃止・民営化に取り組み、2002年6月末、小泉首相より道路関係四公団民営化推進委員会委員に任命される。政府税制調査会委員、東京大学客員教授、東京工業大学特任教授、テレビ・ラジオ番組のコメンテーターなど幅広い領域で活躍中。東京都副知事。最新刊に『東京からはじめよう』(ダイヤモンド社)がある。

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