受益者負担を明確にしたほうがよい
受益と負担の関係がわかるものは、しっかりと対価を払うのが常識だろう。
道路にたとえて考えてみよう。税金でつくる国道や県道を走るときは無料だが、高速道路を走るときには高速料金を払う。高速道路は高架のけたをつくったり、できるだけカーブがすくない道路をつくっている。おかげで、短時間で目的地に移動できる。その分は特別料金が必要だ。
電車で言えば、在来線と新幹線を比べればわかりやすい。新幹線は、線路を真っすぐに引っ張ったり、研究開発に投資したおかげで、高速での運行が可能になった。そこから生まれる時間短縮というメリットに対して特別料金を支払う。
アメリカには、住民税を、目的税のようなかたちでわかりやすく徴収しているところがある。救急車や消防車を増やしたい場合に、救急車代や消防車代として、そのつど住民税を増やすのだ。もちろん、住民税を下げてサービスの質を落とす、という選択もある。
夕張市長選で羽柴候補が“健闘”したのは、「タダでくれる」から
財政破綻した夕張市の現状も、タダ信仰が生んだ問題に見える。
前回の参議院選挙は“くれくれ競争”になっていた観がある。地方が疲弊している。公共事業が足りないから、工事を「くれくれ」と叫んだ。しかし、その行き着く先は夕張市の風景だ。
地方自治体が公共事業を行う場合、「国から補助金をもらえるから、やってしまおう」という発想で行いがちだ。ほんとうに必要とする物ではないにもかかわらず、当面の補助金を目当てに工事を始める。費用の半分近くを国や県から補助してもらっても、残りの半分は地元が払わなければならない。そのことは頭から消えてしまう……。
夕張市は30もの建物をつくり、300億円の赤字を抱えた。「国からの補助金を使えば、地元の負担はなく“タダ”で物がつくれる」と錯覚をした結果だ。実際には、夕張市が一定の自己負担の金を払わなくてはいけない。
夕張市の“くれくれ体質”が如実に表れた出来事が去る4月の夕張市長選だった。羽柴秀吉候補が、当選までわずか350票と肉薄した。羽柴氏は青森県の奇妙な“城”に住んでいて、これまでも東京都知事選をはじめとするさまざまな選挙に出馬している。ご存じの方も多いだろう。ほとんどの選挙で、彼は泡沫候補だった。だがそんな彼が、今年春の夕張市長選では“健闘”した。それは「自分の財産から100億円を夕張市に持ってくる」と宣言したからだ。いつから日本人は「何かタダになるから、もらえるから、投票する」という考えになってしまったのだろう。非常に不思議な感じがしてならない。
そもそも100億円がもらえるなどと、考えること自体がさもしい。「もらえるものならもらいたい」といった依存心や、「自分の負担なしで誰かに何かをやってもらいたい」という考え方がはびこっている。
ほんとうの意味でタダのものなどありはしない。これは、受益と負担の関係が不明瞭ゆえにおこっているのだ。というよりも、あえて不明瞭にしているふしも見受けられる。このままだと、日本全体が夕張市になるのではないかと危惧してしまう。
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