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薪で得た資金を元手に、低利融資を始めた

当時の農民は、農業だけをやっていたわけではない。米以外にも特産品などをつくったり、塩、茶、醤油、紙などの小売りをする者もいた。農村は、米だけに限らずいろいろなモノをつくる工場が密集しているエリアだった。東京都大田区あたりの町工場を想像してもらうとわかりやすいかもしれない。農民は、いわば、中小零細企業の経営者のようなものだった。

いまと同じで、経営には資金繰りの問題がつねについて回る。足りなければ借りなくてはならない。金利は10%〜20%が一般的で、返済に頭を悩ます者が多かった。そこで二宮金次郎は、自分が貯めた金を元手に低金利の融資を始めた。『五常講』というシステムだ。

利子として得た金は次の融資に回し、『金次郎ファンド』を拡大

『五常講』の仕組みを簡単に説明しよう。たとえば10両貸したら、毎年2両ずつ返済してもらう。5年で10両は完済となる。ここで金次郎は、「5年間2両ずつ返済して生活ができたのだから、もう1年2両を支払っても大丈夫だろう」として、6年目にもう2両出させた。この最後の2両が実質的な金利となる。借りた10両を6年かけて12両返済。年利にすると5.4%程度と非常に低金利だ。

ただし、この2両はただの金利ではない。『推譲』と呼び、五常講の新たな資金とした。推譲されたお金は次の融資に使われる。そしてまた、次の推譲が生まれ、資金が膨らんでいく。次第に、二宮金次郎ファンドと呼んでも差し支えない規模に成長した。金次郎ファンドは、最初は個人向けにに融資していた。それが村単位の出資に拡大。さらに広がり、関東600カ村に融資するまでになった。最終的には、関東平野の小大名や旗本にも融資をすることとなる。

お釜のススを集めて3割のコスト削減

二宮金次郎はこの『五常講』のシステムを、小田原藩家老である服部家の中間時代に編み出した。他の奉公人に低金利で融資し、高利の借金を借り換えさせたのが発端だった。その才を見込まれ、服部家の借金整理に知恵を貸すのだが、金次郎が最初に行ったのは意外なことだった。

金次郎は女中を全員集め「ススを1升持ってきたら2文やる」と指示した。女中は意味がわからなかったが、「2文もらえるなら」と一生懸命お釜を磨いて、そのススを金次郎のところに持っていった。当時は、お風呂の湯沸かしから飯炊きまで、すべてお釜で行う。そのお釜をピカピカに磨くことで、燃料効率のアップを目指したのだった。お風呂を沸かすのに、10本使っていた薪が7本ですむようになったら、3割のコスト削減だ。

まずはコスト削減。そこで浮いたお金を運用して利益を出していくという考え方だ。このコスト削減の部分ばかりがクローズアップされて、二宮金次郎=節約といったイメージが定着しているが、金次郎の本質は浮いたお金を「運用」した点にあるのだ。

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