薪は、換金効率が高い商品だった
それでは、本題である『二宮金次郎はなぜ薪を背負っているのか?』に戻ろう。あの薪は売るのである。薪は換金率が良い商品だったのだ。「重い薪を背負い、つらい仕事をがんばっています。根性があって偉いですね」という道徳的な話ではない。
現代の家庭において、石油やガス、電気などの光熱費は家計の6%程度を占めている。江戸時代はいかほどだったのだろうか。小田原藩の武士の家計を調べてみると、光熱費は家計の15%程度を占めていた。意外に感じるかもしれないが、現代は石油や灯油などの燃料が豊富にあるので、光熱費の割合が江戸時代に比べて低くすんでいる。もちろん、江戸時代の燃料はほとんどが薪だ。そこで、薪は高い価格で売ることができた。
二宮金次郎は、換金効率の良い高額商品を背負っていた。ここが大事なところだ。米をつくるよりも薪を売ったほうが、手っ取り早くお金になる。金次郎は、効率を重視していたのだ。
加えて、小田原は東海道五十三次の宿場町で、小田原藩11万石の城下町だ。当然、町は繁栄していた。侍もいれば、旅人も通るし遊女もいる。彼らを目当てにしたいろいろな店も出ている。二宮金次郎は、燃料の需要が高い小田原に薪を売りに行っていた。
薪の生産・流通・販売を一手に担った
金次郎は、子供のうちは、村の共有地で薪を拾っていた。「子供のすること」として、大人たちは大目に見てくれていた。しかし成長したらそうはいかない。そこで金次郎は青年になると、二束三文で売られていた奥地の山を買った。そこで自分で木を切って薪を生産。切った薪を背負って町へと流通させる。町についたら自分で販売する。生産・流通・販売を自分一人で一手に担うわけだから、別々にやるよりも3倍儲かる理屈だ。
じつは二宮金次郎は、かなりの大男だった。僕らが知っている金次郎像は13歳くらい。顔がすべすべした子供の金次郎だ。ところが、大人になると身長は180cm以上になる。江戸時代は平均身長が150〜160cm台なので、いまなら2mくらいに相当するだろう。そう考えると、薪を背負っている金次郎は、ダンプカーが荷物を運ぶみたいなものだ。ふつうの人間は軽乗用車。人よりたくさん運べるということは、人よりたくさん稼げるということ。こうして儲けたお金を、彼は「運用」して増やしていった。自分が貯めた金を、村人に融資し始めたのだ。
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