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究極のパッケージ「INTERSOCCER 4」

今回のテーマからずれるが、INTERSOCCER 4について触れておこう。INTERSOCCER 4は、現在から考えると、世界のサッカーの目玉となる大会を全部集めた、大変な価値を持つパッケージだった。FIFAワールドカップとヨーロッパ選手権(EURO)とチャンピンズ・リーグ4年分が一緒になっているのだ。

さらに、1982年のワールドカップ スペイン大会を含む4大会の看板パッケージが、1社1900万・米ドル(当時の為替レートで約30億円)で含まれていた。現在の看板の料金は、ワールドカップ2006年だけで7000万・米ドル、ヨーロッパ選手権の「EURO 2004」が4000万・米ドル、チャンピオンズ・リーグが1年で3500万〜 4000万・米ドル(4年間で1億5000万・米ドル)程度。1900万・米ドルが、いかに低く設定されていたかが分かる。

日本での販売は博報堂とタッグを組んだ

INTERSOCCER 4の販売を担当したのはイギリスに本拠を置くウエスト・ナリー社。日本ではジャック・坂崎氏が同社の日本代表となってセールス活動を行った。このセールスは、当時すでに世界最大の広告代理店となり日本最大のシェアを誇っていた電通ではなく、二番手の博報堂を通して行われた。

上に述べたように4大会の看板パッケージは約30億円。ジャック・坂崎氏の話によると、最初は最大手の電通にコンタクトしたが、担当者は「30億? 一けた違うんじゃない? 全然だめだよ、こんな数字では」と“けんもほろろ”の対応だったという。

電通に断られたジャック坂崎氏は博報堂に共同セールスを持ちかけた。結局、セイコー、キヤノン、日本ビクターの3社とFIFAワールドカップ スペイン大会のスポンサー契約を結んだ。ワールドワイド公式スポンサー10社のうち、実に3割を日本企業が占めたわけだ。

日本はまだバブル経済の大型景気に沸く前だし、サッカーも人気のなかった時代。ジャック・坂崎氏の手腕に敬服すると同時に、ワールドカップがグローバルイベントであることを即座に評価したこの日本企業4社の見識に脱帽である。米国の企業がFIFAワールドカップに対する評価を高めるのは、12年後の1994年大会が米国で開催されてからである。

当時としては珍しい大型広告案件、FIFAワールドカップのスポンサー・セールスを全部博報堂に持って行かれた電通は、面白いわけがない。電通は、4社のスポンサーシップが決まった後、巻き返しを図った。当時、ロサンゼルス・オリンピックにおける日本企業対象のスポンサーシップとライセンシング権を独占的に販売していた電通は、オリンピックのルートからFIFAワールドカップの権利保有社へ接近していった。

ワールドカップ・ビジネスで博報堂を逆転したい電通と、パトリック・ナリーとの連携に限界を感じていたホルスト・ダスラーの意向が合致して、スペイン大会中に逆転劇が起きる。

次回は、この逆転劇から、ダスラーの息が直接かかったスポーツマーケティング会社ISLの設立について書く。

樺山 満(かばやま・みつる)

サッカーをはじめとするスポーツ・ビジネスの現場に長く携わる。欧州・米国両方のスポーツ・スポンサーシップ、放送権、エンターテイメントのビジネスに深くかかわってきた。現在は、欧州でスポーツ関連のマーケティング・アドバイザー、フリー・ライターとして活躍中。

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