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82年大会で起きたマーケティングの“スペイン革命”

2006年6月15日

(取材・文=樺山 満)

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世界のスポーツ・アパレル業界で大きな地位を占め、ナイキと覇権を競うアディダス。2006ワールドカップ ドイツ大会でも、ワールドワイドの公式スポンサーである。公式ボール「チーム・ガイスト」をはじめ、多くの代表チームのユニフォームも提供する。開催国ドイツでアディダスの文字を見ないことはない。

このアディダスが、一時はFIFAワールドカップの全権利を持つ会社を実質支配していたことをご存じだろうか? 現在はアディダスも、一スポンサーとして70億円以上の権利金を支払って、マーケティング権をFIFAから取得している。しかし、80年代を中心に暫くの間、アディダスの創業者一家がFIFAワールドカップの全権利を持っていたのである。一私企業、一スポンサーが、世界のサッカー統括機構の権利を独占していた。

アディダスは、戦後間もない1949年のドイツ、ニュルンベルグ近郊のヘルツォーゲンアウラッハに設立された。「adidas(アディダス)」と言う名前は、創業者であるアドルフ・ダスラーの通称「Adi(アディ)」と「Dassler(ダスラー)」を合わせた「Adi - Dass」から生まれている。ちなみに創業の前後、アディの弟・ルドルフは、兄弟間の争議の末に袂を分かち、同じ町に、ライバル・メーカーの「PUMA(プーマ)」を興した。サッカー靴・アパレルの両雄、アディダスとプーマの闘いの起源はこのときにまでさかのぼる。

1950年代から60年代のアディダスを知る、日本サッカー協会の名誉会長・岡野俊一郎氏は、アドルフとその長男・ホルストのことをこう語る。「アディ・ダスラーは職人気質の人。我々日本代表チームも欧州遠征時にはヘルツォーゲンアウラッハの自宅にご招待を受けた。自宅には、テニスコート4面分はあろうかという芝生のミニ・サッカー場があった。彼はそこでサッカー靴を我々に試させると、すぐに『つま先の感覚はどうか』、『ふくらはぎが当たる部分の感触はどうだ』と一人ひとりに聞き、自ら工具を持ってその場で靴底を変えたり、形を修正したりした。アディさんは根っからの職人だった」

「長男のホルストは、アディのお気に入りではなく、どちらかというと出来の悪い息子。最初はフランスに飛ばされて、当時は二番手だったボールの商売をやらされた。ホルストはアルザス地方ランデルシャイムにアディダス・フランスを設立して、本業の靴以外のニュー・ビジネスに携わることになった」(岡野氏)

この男が、スポーツマーケティング界の開祖と呼ばれるホルスト・ダスラーである。

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