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田中秀征:私が見た宮沢喜一さんと保守本流政治(1)〜清貧を清貧と思わない宮沢さんの人柄

2007年7月17日

 「一言啓上」でおなじみの田中秀征氏による、短期集中連載をお届けする。テーマは「故・宮沢喜一元首相と保守本流政治」だ。初回は、宮沢元首相の人となりに迫る。田中氏は、宮沢元首相の側近として、同氏の政治を支えた。その人となりを間近かで見てきた。

 第2回と第3回は、政治家としての宮沢氏を振り返ると共に、宮沢氏を中心とする“保守本流”が戦後政治において果した役割を振り返ると共に、その課題を考える。

宮沢喜一元首相の葬儀は「近親者のみの密葬」ということなので私は参列を遠慮した。ところが、新聞に報道されたので1500人もの弔問客が訪れたという。それなら遠慮していた私はいかにも愚かだったということになる。

そんなわけで葬儀の2日後、私は宮沢さんの自宅を訪ねて献花をした。

パフォーマンスや恩着せがましさを嫌った

久しぶりに宮沢邸を訪ねた私は、あらためてその清貧ぶりに驚かされた。失礼なことだが、ごくふつうの会社員の家より粗末なのである。おそらく誰でも「これがあの宮沢さんの家なのか」とびっくりするに違いない。外見もそうだが、家の中もぜいたくなところは何もない。

かつて何度も訪ねたことがあるが、10年以上たっても前の家がただ古びただけであった。

宮沢さんは、清貧でありたいと思っていたわけではない。それどころか、自分が清貧だとは思ってもいなかっただろう。だから、清貧ぶりを売りものにする気もさらさらなかった。

もしも生前に清貧さが知られたら、それがいやで無理をしてでも多少豪華な家を建てたかもしれない。宮沢さんはそういう人だった。

宮沢さんは選挙のとき、タスキをしなかった。奥さんに選挙運動をさせなかった。また個人として献金パーティーもしなかった。ふつうの政治家が当たり前にしていることでも、彼がしないことは多かった。地元広島県の備後地方のこともこまめに面倒をみていたが、「やる」とも「やった」とも言わないから、地元からは「日本のためにはなっているかもしれないが、地元のためにはなっていない」という評価が定着していた。

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