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近藤剛・バーレーン特命全権大使(前道路公団総裁)に聞く(1)〜道路公団民営化の経緯と、中東外交の展望

2007年5月8日

(聞き手:松崎 隆司)

■日本道路公団総裁時代を振り返って、どう思いますか。

近藤 剛 在バーレーン大使館の特命全権大使

近藤 やってよかったと思っています。道路公団の民営化は、郵政民営化と共に小泉政権が行った行財政改革の二本柱でした。郵政改革をはじめとする財政投融資改革は、特殊法人にかかわる資金の入り口の改革になりました。いっぽう道路公団改革は資金の出口の改革でした。

これらは小泉前首相でしかできなかった改革です。そして、これから、目に見える十分な成果が上がってくると思っています。特に道路公団改革が遅れていたら、国鉄改革のような国民に大きな負債を負わせる結果になっていたと思います。

■近藤さんは伊藤忠商事常務を辞め参議院議員となりました。そもそも国会議員になったのはどのような思いからだったのですか。

近藤 「政治がしっかりしなければこれからの日本が不安だ」という強い思いに駆られたからです。

私の父は第二次世界大戦中に野砲連隊長をしていて、レイテ島攻防戦で玉砕しました。伊藤忠商事の役員時代に、父の上司であった牧野四郎師団長のご子息とレイテ島に旅をし、生々しい戦場の跡を目にしました。当時は野砲が最後の1発になると、それを玉砕のために使ったそうです。銃身に最後の1発の弾を込め、砂を詰めて破裂させる。私たちが訪れた場所には、その残骸が残っていました。

これを目の当たりにした私は、「こんな戦争に突入したのは、日本が当時、世界の情勢をしっかりと見据えた外交ができなかったから。外交をしっかりさせるためには政治がしっかりしなければならない」という思いを抱くようになりました。そのような中で、私が日本に帰ると「立候補しないか」という話がありました。私はそれまで政治家になろうと思ったことはありませんでしたが、レイテ島での思いと重なり天命のようなものを感じました。それで参議院議員選挙への出馬を決めたのです。

■近藤 剛(こんどう たけし)氏のプロフィール

1941年生まれ。
1964年、早稲田大学政治経済学部を卒業後、伊藤忠商事に入社。1998年に同常務に就任。2000年に退職。その後2001年に参議院議員選挙に出馬し初当選。2003年11月辞任。藤井治芳総裁の退任を受けて、日本道路公団総裁に就任、民営化を実現した。2005年10月には中日本高速道路の会長に就任。2006年、同社の相談役に退いた。2007年3月、在バーレーン大使館特命全権大使に任命される。

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