三洋電機再生の鍵は、かつてのマツダにおけるフォードの存在
(財部 誠一)

三洋電機の社員には本当に同情を禁じえない。三洋電機は独自の技術とマーケティングセンスで、エレクトロニクス業界の過当競争のなかで独特の存在感を発揮してきたが、いまやもう見る影もない。一度坂を転げ始めた企業の迷走ぶりは、かくも愚かなものであるかを、三洋電機のこの2年は象徴している。
悲劇の幕が上がったのは2005年6月。創業者の息子で、1986年の社長就任から約20年間、独裁者として三洋電機に君臨してきた井植敏氏の社長辞任だった。2期連続赤字の責任を取ったかっこうだった。そして、世間の耳目を集めたのは、後任人事だった。なんとCEO兼会長に抜擢したのは、生え抜きの副社長でもなければ専務でもなく、なんとジャーナリストの野中ともよ氏であった。
「ウソだろ」
三洋電機の社員たちは耳を疑った。社外取締役として井植敏のアドバイザー役を務め、三洋電機の経営を外から見てきたとはいえ、経営経験のないジャーナリストをいきなりCEOに起用するなどという馬鹿げた人事があるだろうか。
日本企業は「経営のプロ」をトップにすえて構造改革を乗り越えた
この10年、経営不振にあえぎ続けた日本企業の多くは、「経営のプロ」と呼ぶに値する優秀な人間をトップにすえて厳しい構造改革を乗り越えてきた。それが日本の景気回復の原動力であった。圧倒的なリーダーシップと構想力を持つトップを戴いた企業の業績は劇的に向上した。2000年に松下電器産業の社長に就任した中村邦夫氏(現会長)はその象徴だ。創業家と激しくぶつかり合いながら、松下電器のビジネスモデルを根底から覆し、業績をV字回復させた立役者である。松下幸之助氏の理念を誰よりも深く理解し、海外営業の立場から松下電器の強みと弱みを熟知した人間だった。
生きるか死ぬかの分水嶺で誰に経営を委ねるのか。これ以上重大な経営判断はない。松下電器は、中村邦夫という、その後、日本財界の誰もが一目を置くことになる、驚異的な改革者としての資質を備えた男にすべてを委ねた。そして中村氏は見事にそのミッションを果した。
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