ホワイトカラー・エグゼンプション導入は時期尚早〜管理職のマネジメント力を高めることが先
(城 繁幸=人事コンサルティング、
『若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来』著者)

ホワイトカラー・エグゼンプション導入の是非をめぐる議論が白熱している。一定の要件(経団連側の素案では年収400万以上)を満たしたホワイトカラーについて、労基法による労働時間規制を外し、自己責任の名の下に裁量労働させるというものだ。結果として、残業代は全額カットされることになる。
そもそも経営者側の意図が「コストカット」なのは間違いない(反論もあるかもしれないが、だったらフレックス勤務で我慢しろと言いたい。月トータルでの時間規制が残るとはいえ、効率化にはフレックス勤務で十分だ)。問題は、それが果たして彼らの言うように「仕事の効率化を推進し、労使双方の側にもメリットをもたらす」ものであるかどうかだ。
経団連の主張は、成果主義を提唱したときと全く同じ
経団連側の主張の論旨をもう少し深く読み込んでみたい。
「ホワイトカラーの労働には、仕事の成果と労働時間の長さが必ずしも合致しないという特質がある。したがってホワイトカラーの労働に対しては、労働時間の長さではなく、役割・成果に応じて処遇を行っていく方が合理的である」(ホワイトカラー・エグゼンプションに関する提言:2005年6月)
だから残業という概念を無くしてしまえ、というわけだ。
実はこの主張、90年代後半に、日本企業が争って成果主義を導入した際の経営者たちの論理と全く同じである。「もう時間ではなく、成果で報酬に差をつけるべきだ」という考えは、1995年の「新時代の『日本的経営』」(旧日経連編)において既に見られるものだ。
だが、アメリカから輸入された目標管理や裁量労働制は、企業現場に深刻な機能不全を引き起こしただけだった。ほとんどの日本企業は、いまだ年功序列に変わる成果型の人事制度を構築できていない。
職能給ベースの職場で成果主義は機能しない
失敗の原因は明らかだ。そもそも職能給をベースとする日本企業では、労働者間の業務の切り分けがきわめて曖昧(あいまい)であり、権限や責任の所在が不明確だという特徴がある。社内組織についても、長く続いた年功序列制度の結果、多くの序列とポストで階層化が進み、主任や課長といった序列には、もはや独自の裁量を振るう余地は少ないのが実情だ。人事権や予算権など業務上の権限を持っているのは、部長級以上の管理職層だけだろう。成果に対する責任を負わせるには、それを生むだけの権限が必須なのだ。それが、今も昔も、日本の会社員には欠けている。
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