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マルハとニチロ、経営統合の鍵は海外市場

2007年1月22日

(松崎 隆司=フリーライター)

水産業界で売上高トップのマルハと同3位のニチロが2006年12月、経営統合することを明らかにした。実現すれば、売上高1兆円を超える巨大企業が誕生する。水産業界に1兆円企業が誕生するのは初めてのことだ。

マルハもニチロも歴史のある名門企業。その両社がなぜ、経営統合に踏み切ったのか。

マルハグループ本社の五十嵐勇二社長はその理由をこうに語る。「日本の市場はこれ以上大きくならない。魚食文化が浸透しており、1人当たりの消費量は変っていない。しかし、少子高齢化の影響で総消費量は落ちる。その中で水産関係の会社も食品関係の会社も、しのぎを削って戦っており、競争は厳しい」

「その一方で安心安全が叫ばれるようになった。しっかりした検査機関などを備えていく必要がある。しかし零細企業では、それをやれと言われても無理だ。結果として、合従連衡してコストを下げていかなければ、限られたマーケットの中でシェアを拡大することもできないし、生き残ることもできない。国内市場での成長戦略を描くためには合併やM&Aしかない」

マルハは漁業事業を基に、総合食品会社に発展した

マルハは播磨(兵庫県)の中部家の家業である鮮魚仲介運搬業がそのルーツ。1880年に中部幾次郎が家業を継承。1904年に山口県下関市に拠点を移し、捕鯨やトロール業に進出した。1936年には南氷洋捕鯨を開始。戦後は大洋漁業と改称して1946年から捕鯨を再開。さらに母船式北洋サケ・マス漁業や西アフリカ海域でのトロール漁業を始め、世界中で漁業事業を展開するようになった。

1953年には中部兼吉が大洋漁業の3代目社長に就任。24年間にわたって君臨し、食品加工、冷蔵、輸送、貿易商社などの周辺業務を拡大。大洋漁業を世界的な企業に押し上げた。

ところが1973年のオイルショックや1977年の排他的な経済水域の設定が、漁業事業を難しくする時代を呼び込んだ。大洋漁業はこれを乗り切るため、エビや鱒といった原料の輸入、缶詰などの食品加工も行なう総合的な食品会社として変貌を遂げた。

その後のバブル崩壊時に、ゴルフ場や不動産投資で経営が悪化。再建のため、フラッグシップであったプロ球団を売却した。

2000年6月に、五十嵐勇二氏が、日本興業銀行(現みずほコーポレート銀行の中核)の常務からマルハの専務として転出。「経営の建て直しができていると思ったが、まだ課題が山積していた」(マルハの五十嵐社長)。そして、2002年度から3カ年にわたる経営再建計画を推進するために、2002年3月、社長に就任した。その後グループ再編の柱としてマルハグループ本社を2004年4月に設立。2004年度にはリストラのための特別損失を計上、増資も行なった。

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