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手嶋 龍一氏に聞く:2007年、アジアの隠れた“火薬庫”は台湾海峡

2007年1月15日

(聞き手:諏訪 弘=フリーライター)

(前回記事はこちら

■「台湾海峡の危機」とは具体的にはどういうものですか。

手嶋 日本に大きな影響が及ぶ東アジアの有事は、台湾海峡と朝鮮半島にあります。台湾海峡と朝鮮半島の順で申し上げたのは理由があります。朝鮮半島で武力衝突が起きても、米中両大国が直接武力で衝突する事態とはならない。しかし、台湾海峡を挟んでは、この両大国が戦火を交える最悪のシナリオを想定しておかなければならないからです。

戦略的思考の要諦は、想像すらできない事態を思い描いておけ、というものです。しかしながら、台湾海峡の危機は戦略を扱う人々の思考にどっしりと根をおろしている。現に1996年には米中の危機が現実のものになりました。この年、台湾の総統を初めて民主的に選出する直接選挙が行われることになりました。中国側は、李登輝氏が当選すれば独立に傾くことになると危惧したのです。

中国の政治指導部は、台湾独立の動きをけん制しようと台湾島を挟むように複数のミサイルを発射しました。中国の人民解放軍は、続いて台湾への上陸を想定した大がかりな演習を企図したのでした。これに危機感を抱いたアメリカのクリントン政権は、台湾海峡をにらむ海域に原子力空母を含む二個機動部隊を急派したのでした。このため米中両国の間には一挙に緊張が高まったのでした。これが96年台湾海峡危機と言われるものです。この地域の危機の深さを端なくも示した事件でした。

96年台湾海峡危機では、中国側の渡洋能力、航空能力が共にまだ十分ではありませんでした。つまり、アメリカ側の制海、制空能力が圧倒的に勝っていたわけです。表現を変えれば、アメリカの中国に対する抑止がよく効いていた。中国側にそれ以上の軍事行動を思いとどまらせる抑止力が機能していたということなのです。実際に中国側は、予定していた上陸演習すら名目的なものにとどめて手仕舞いにしたのでした。

あの危機から10年あまり。中国の人民解放軍は、矛を収めた無念をかみ締めながら、剣を研ぎ続けたのです。中国経済の躍進を背景に、中国人民解放軍がどれほどの近代化を遂げたのかは指摘するまでもないでしょう。

その一方、ブッシュ大統領のアメリカは、イラク戦争でつまずき、東アジアでのプレゼンスを大きく低下させています。台湾海峡を挟んで米中の力が接近してきている。アメリカの対中抑止にかげりが見え始めている。武力衝突の危険水位が知らず知らずのうちに上がってきているのです。

心ある世界の戦略家たちが、朝鮮半島よりむしろ台湾海峡の動向に神経質になっているのはこのためです。2007年、東アジアの安全保障は、台湾海峡から目を離してはなりません。

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