道路特定財源の一般財源化騒動に「角福戦争」の影
(浅川 博忠=政治評論家)
12月6日午後。道路特定財源プロジェクトチーム(道路PT)の会合が自民党本部で開かれた。政府案の骨子を説明する塩崎恭久・官房長官に対して、出席者60人の過半を占める道路族議員から怒号が浴びせられた。
「一般財源化されれば中央と地方の格差がますます拡大し、地方は完全に埋没する」と訴える地方選出議員も多かった。この問題には大都市VS地方という対決の面もある。
この他にも、小泉改革継承組VS自民党の先祖返り歓迎派。財務省と国土交通省の主導権争い。加えて1970年から15年余にわたって激しく展開された「角福戦争」の残像も垣間見られたのだった。
道路特定財源をつくり出したのは田中角栄氏
戦後の復興に向けて、高度経済成長期に突入しようとしていた1954年。成長路線を加速化させるために、意気軒昂だった若き日の田中角栄・衆議院議員は、卓越した才能をもって道路特定財源を議員立法で成立させた。
後日の彼に尋ねると、「海外視察の際に受益者負担の実態を見た。それを参考にこの方式を編み出した。道路特定財源によって道路は整備され、輸送力が増大し経済成長に多大な貢献をした。加えてマイ・カー時代を到来させた」と、語ってみせている。
特定財源の法案化に見られるように、田中氏は高度経済成長期に最も適合する政治家として急成長した。建設省と運輸省(両省が合併して現在の国土交通省)を支配しながら、総裁候補に数え挙げられる実力者としての地位を築いた。当然、彼は財政拡大論者でもあった。大蔵大臣(現財務大臣)として、大蔵省への影響力も拡大させた。
田中・大平連合が福田氏から政権を奪う
これを嫌ったのが大蔵官僚OBの福田赳夫氏であった。彼は緊縮財政論者である。「モノ・カネの横行は好ましくない」として、田中氏の手法や政策に厳しい対決姿勢を示した。そして7年8カ月続いた佐藤栄作・長期政権の間に、ポスト佐藤の座を田中氏と熾烈(しれつ)に争うライバルと化した。両者の争いがいわゆる「角福戦争」だ。
1972年7月に、特定財源の発想を拡大させた「日本列島改造論」を主唱する田中氏が福田氏を破って首相に就任した。しかし、その直後に起きた第1次オイル・ショックで高度成長時代は完全に終止符を打ち、低成長経済時代へと転換した。拡大財政は大幅な赤字財政と化していき、田中氏は2年余の短期で退陣を余儀なくされた。彼が、支配してきた運輸省マターのロッキード事件で失脚していったのは、「得意な所に落とし穴が待ち受けている」の古語通りの結果であった。
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