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土井飛行士のシャトル搭乗決定で見えた宇宙ステーション計画の陰り(前編)

2006年5月12日

(松浦 晋也=ノンフィクション・ライター)

独立行政法人・宇宙航空研究開発機構(JAXA)は5月8日、土井隆雄宇宙飛行士が、二度目のスペースシャトル搭乗を行うことを発表した。2007年末とアナウンスされている、国際宇宙ステーション(ISS)組立飛行、日本モジュール「きぼう」の第一回組立飛行でシャトルに乗り組み、ISSにも短期滞在する。実現すれば、若田光一、野口聡一両飛行士に次いで、ISSを訪れる3人目の日本人宇宙飛行士となる。

この発表に先立つこと2カ月、3月3日にフロリダ州のケネディ宇宙センターで計画参加各国の宇宙機関長会議(HOA)が開催され、スペースシャトル「コロンビア」空中分解事故(2003年2月)以降宙に浮いていたISS組立スケジュールが確定した。

日本モジュールは2007年末に1回、2008年に2回の合計3回のシャトル飛行で組み立てられることになった。欧州と日本のモジュールは順番が前倒しされ、日欧モジュールが接続される「ノード2」という部位をISSに装着するフライトの直後に打ち上げられることになった。

国内では、これらのニュースは、朗報として受け止める向きもある。しかし、過去の米航空宇宙局(NASA)の行動から分析すると、決して良い動きとは言えないことが見えてくる。

過去に米国はISS計画参加各国に顧慮することなく、横暴なまでに国内事情を優先して計画変更を行ってきた。それがここにきて日欧を優先するということは、米国にISS計画を振り回すだけの意志も力も無くなりつつあるということを意味する。

ISSを牛耳ってきた米国

1984年1月、当時のレーガン米大統領が年頭教書演説で「10年以内に恒久的な有人宇宙ステーションをつくる」と述べたことから、国際宇宙ステーション計画は始まった。1988年9月には参加各国間の政府間協定(IGA)が締結され、日本では翌89年6月に国会で承認された。国会承認をもって、国際宇宙ステーション計画は参加各国政府が相互に実現を約束した国際プロジェクトになった。

しかし米国はIGA締結以降も、計画の中心国として自国の事情から、計画の一方的変更を重ねてきた。国際宇宙ステーションの設計は、組立を開始した1998年までに、1989年、1990年、1993年の3回にわたって大きな変更を受けた。そのすべてが基本的には米国におけるステーション予算の削減が原因だった。特に1993年の設計変更は、共和党ブッシュ政権の後を受けた民主党クリントン政権が、直接NASAに対して大幅削減を命令した結果であり、NASAはロシアを計画に引き込んで、計画の縮小に対抗した。

next: これらの設計変更の過程で…

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