このページの本文へ
ここから本文です

トヨタには、異質を生かす新次元の経営が求められる

2005年10月14日

(永井 隆=ジャーナリスト)

電撃的にまとまったトヨタ自動車と富士重工業の資本提携。これから両社の関係はどうなっていくのか。

実態は、貿易摩擦回避のためのGM支援

トヨタは否定するものの、今回の提携の背景には、経営が悪化している米ゼネラル・モーターズ(GM)を支援しようとする意図があったと言えよう。GMは保有していた富士重の発行済み株式20%をすべて放出。うち8.7%をトヨタが取得して富士重の筆頭株主となった(残りは富士重が市場で取得)。GMを財務的に支援することで貿易摩擦の再燃を避けようとする“大人の判断”を、トヨタが働かせたと見ていいだろう。

つまり、政治的な判断により、業界再編が実現したのである。問題なのは、政治的な提携であったがため、肝心の事業としての今後の青写真が見えていない点である。

早ければ2007年にも、富士重の米国工場(SIA)でトヨタ車の委託生産が始まる。規模は、年間10万台だ。これ以外の具体策は今のところ検討課題の域を出ていない。ちなみに、トヨタの北米における前期の生産台数は115万6000台である。

経営の独立性を貫いてきた富士重

富士重の竹中恭二社長は「経営の独立性の保持が大前提」と、提携会見で強調している。外部から資本を受けながらも、経営の独立性を貫いてきたのは富士重の特徴だ。

富士重の前身は、戦闘機「隼」などを生産していた旧中島飛行機。戦後の財閥解体後、1953年に富士重工業として再出発した。航空機技術をベースにした水平対向エンジンや4WD、無段階変速機(CVT)を実用化したことから、技術力の高い会社と言われ続けてきた。

技術も高いが、技術部門のプライドも高い。この高いプライドを支えてきたのが、経営の独自性に外ならない。富士重のトップはメーンバンクの旧日本興業銀行と日産の出身者が交互に担う時代が長く続いた。日産とは、1968年に資本提携している。生え抜きトップは、2001年に就任した竹中現社長が初めて。しかし、この間に、「経営者」と「現実の経営」を分離し、経営の独立性を醸成させてきた。

富士重は80年代後半、販売不振から経営危機を迎えた。このとき、旧興銀出身のT社長が更迭され、代わって社長に就いた日産出身の川合勇氏が再建に成功。日産主導体制が出来上がったかに見えた。だが、90年代半ばになると日産自体の経営が揺らいでいった。さらに、創業家出身者の衆院選挙に絡む贈収賄事件で川合会長(当時)が1998年に逮捕されてしまった。こうした経緯の中で、富士重の経営独自性は確立された。

2000年には日産との提携を解消して、GMの傘下に入ったものの成果は生まれないまま。そして今回、トヨタとの提携に至った。半世紀以上の歴史の中で、富士重は出資先の“色”に染まらずにやってきた。分かりやすく表現すれば、結婚と離婚を繰り返しながら、どの夫の言うことも聞かない“仮面妻”にも似ている(しかも気位は高い)。

next: 航空機のノウハウは魅力…

(全 2 ページ中 1 ページ目を表示)

あなたのご意見をコメントやトラックバックでお寄せください

記事検索 オプション

日経BP社の書籍購入や雑誌の定期購読は、便利な日経BP書店で。オンラインで24時間承っています。

ご案内 nikkei BPnetでは、Internet Explorer 6以降、 Safari 2以降、Opera 8以降、Netscape 8.1以降またはHTML 4.01/CSS level 1, 2をサポートしたWebブラウザでの閲覧をお勧めしております。このメッセージが表示されているサポート外のブラウザをご利用の方も、できる限り本文を読めるように配慮していますが、表示される画面デザインや動作が異なったり、画面が乱れたりする場合があります。あらかじめご了承ください。

本文へ戻る