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17年前に宇宙理学委員会は正常に機能したのか

LUNAR-Aがここまで迷走した原因を関係者に聞いていくと、3つほどの原因が浮上してくる。(1)開発に入ることを認めたISAS内の宇宙理学委員会の見通しの甘さ、(2)あまりに閉鎖的だったマネジメント、(3)プロジェクト中枢の見込み違いとそれを看過したISASの体質――である。

ISAS(当時は文部省・宇宙科学研究所)の科学衛星は、所内の宇宙理学委員会及び宇宙工学委員会という組織で、次の衛星計画を審議する。探査や観測を目的とした理学系の衛星は宇宙理学委員会で、技術開発を目的とした工学衛星は宇宙工学委員会が審議する。

LUNAR-Aは1989年度の宇宙理学委員会で審議されてISAS内で次の科学衛星に選ばれた。次いで1990年夏に当時は総理府の管轄だった宇宙開発委員会に計画が提出され、1991年度から開発予算が付き、衛星システムの開発が始まった。

この中で、もっとも注目すべきは当時の宇宙理学委員会が、いったいどのような議論をしてペネトレーターが開発可能であると判断したかだ。

私は当時の宇宙理学委員会の雰囲気は、まずなによりも世界一級の観測成果を挙げることが重視され、あまり計画の実現性について議論しなかったという話を聞いている。しかし、LUNAR-Aに関しては、より具体的に当時の宇宙理学委員会の出席者が何をどう考えて、どう発言したかを、きちんと追跡して記録する必要がある。

LUNAR-A探査機本体。10年前に完成し、ずっと保管されていたが…(Photo by JAXA/ISAS)

関係者から、免責特権付きの事情聴取を

LUNAR-Aは、日本の惑星科学を精力的に牽引していた水谷仁氏(現Newton誌編集長、前ISAS教授)が実施を主張して立ち上げた計画だ。名古屋大学に在籍していた水谷氏は、LUNAR-A開発のためにISASへと移り、計画のプロジェクト・マネージャーを務めた。

しかし、関係者が一様に指摘するのは、水谷氏の計画管理が問題含みであったということだ。

まず、サブに工学の研究者が付かなかった。ISASの衛星は伝統的に2人の教授が正、副でコンビを組んで、計画管理に責任を持つ。LUNAR-Aのような理学衛星ならば、工学系の教授がサブで付き、計画のエンジニアリング的側面をサポートする。

しかしLUNAR-Aのみは、なぜか水谷氏が全面的に計画管理を担当し、工学系教授の存在感が完全にしぼんでしまった。ISASには分厚い工学系の人材が在籍している。もしも工学系からのサポートがあったなら、ペネトレーター開発でここまで難航することは避けられたかも知れない。

さらに水谷氏は、ISASのLUNAR-Aチームに自らが在籍した名古屋大学の関係者を多く起用した。結果、LUNAR-Aチームは水谷氏を頂点としたピラミッド型となり、非常に閉鎖的な組織となった。ISAS内部でも「あそこが何をやっているかは知らない。話も出てこない」という状態が、当たり前になってしまった。

また関係者からは「LUNAR-Aチームにはあまりにも完璧主義者が集まり過ぎた」という指摘も出ている。LUNAR-Aチームは完璧な成功にこだわり、ペネトレーターの打ち込み試験と改良を繰り返した。実際問題として、どこかほどほどの成功確率のところで、ミッションを実施すべきだったというわけだ。この問題は、「工学系研究者が計画中枢に参加していたら」ということとも関係してくるだろう。

結果として、水谷氏は道半ばにして2005年3月に定年退職でISASを去ることになってしまった。

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