もしかすると、沖縄、長崎、広島という地域や、8月15日という時間の外的条件がなければ、いまのオトナ達は、過去の戦争など思い出しもしないのかもしれない。記憶にあるかつてのオトナ達が、なにかの折につけ「戦争にいった○○さん」と話していた頃と、あきらかに時代は変わってしまった。
それを風化というべきなのか──結論は出せないが、沖縄、長崎、広島そして8月15日以外では、戦争は風化しはじめているといえなくもない。
だからこそ「儀式」でしかない「黙祷」にKさんは抵抗を覚えるという。「号令をかけられて『黙祷』した後、何日かしたら、別の仲間への『黙祷』、その繰りかえし」(Kさん)という体験が、「儀式」の危うさを感じとってしまっているのかもしれない。
そこで、「いまは平和な時代で、『黙祷』の次にまた『黙祷』ということは起きないと思いますが」といってみると、Kさんは笑って答えてくれた。
「そりゃあ、いまはね。でも、あんたがオレと同じ爺(じじい)になった頃は、わかんないよ」。そして、つづけた。「なんたって、『黙祷』した同じ頭に『必勝』のハチマキして『にっぽん、にっぽん』って日の丸ふってる場所は、60数年前、戦争した相手の国だよ。そこいらヘンきちっとしなくちゃ、オリンピックの変わりに『ナントカ事変』になりかねないや」。
たしかに、甲子園の「黙祷」から北京でのオリンピックである。平和のシンボルというべきだろう。ただ、「きちっと」すべき「そこいらヘン」がどうなっているのか、「絶対に、そんなこと起きません」といえるのか、どうも自信がもてないままである。
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