冒頭でふれた「夏休みにボランティアかぁ、偉いね」という感覚は、恥ずかながら、その典型かもしれない。意地悪にいえば「夏休みに奉仕活動かぁ」となるところであり、果たして「偉いね」となるのか「タイヘンだね」となるか──個人的には、どうしても後者に傾いてしまう。
枝葉末節すぎるという批判はあるかもしれないが、「ボランティア」と「奉仕活動」を曖昧(あいまい)にすると、それへの受けとめ方も違ってくる。
もちろん、参加する高校生全員が「しかたなく」だとは思わない。だとしても、「授業」という一定の強制がある以上、「規律正しく、礼儀正しく」「マジメにやる」のは、自分の意志に基づいたものではなく、「校則を守る」と同じ「義務」の精神だろう。
ボランティア活動は、いわば「社会や他人に尽くすこと」であり、「自発的な意志」で参加するからこそ新しい発見もあり、活動をつづけるエネルギーにもなる。それが、「義務」の延長では、結局のところ、「すべき」ことで終わってしまいかねない。
その違いを考えないまま、「ボランティアや奉仕活動」(前出)としてしまうと、どこか無理が生じる心配がある。
説明なしに価値観を押しつける「全員ジャージ着用」と奉仕活動は同じ?
そこで、よく聞くのが「たとえ強制でも、体験すると違う」である。そして「嫌でも体験すると、後々、それがいきてくる」とか「ツライ経験でも、あとになれば良い思い出になる」という説明が付くことも多い。
反論したことはないが、告白すれば「そうかなぁ?」という疑問符だらけである。
少なくとも個人的には「ツライ経験」は「良い思い出」ではないし、100%「嫌な体験」が役にたった経験もない。たしかに「ツラクて嫌だったけど」オモシロかったり、達成感がともなった経験ならば、「そういえば」と思い出すこともある。しかし、それは無理に味わされた体験ではなく「自分で選んだ」結果であり、だからこそ「オモシロ」さがともなったり、達成感もあったのだろう。
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