失敗に気づきにくい掲示板のコミュニケーション
何回か犯人の書き込みを読んでみると、いまの少年少女が「どうせ」や「ムカつく」を連発する心情と、どことなく近いものを感じてしまう。具体的に引用するには個人的に抵抗が残るので大まかに指摘するが、自分について語っている部分や、電車での出来事など、似たような会話を聞いた覚えがある。
しかし、少年少女の子ども達ならば、彼女(彼氏)、友人、オトナなどとの関係に「支え」られ、紆余曲折はあるとしても、多くは「苦悩や絶望が悲しみに変わり、悲しみが喜びに変わる(前回参照)」。
犯人にしても「誰かの支え」を求めていたのだろう。
ただ、子ども達は仲間や学校など生きている関係のなかで、「支え」を見つける可能性がある。それに対して犯人は、書き込みの表現は別としても、その「支え」を見つけるようとしたのは、ネットの掲示板だったのだろう。
それが間違いだとは軽々にいえないが、もっとも可能性がすくないネットの掲示板を選んだ印象は強い。
紹介したフォーラムの関係者とも「秋葉原事件」が話題になった。少年少女や子どもへの活動をしている方々には、助けを求める場は他にあるのにという気持ちをこめ、「どうして掲示板に書いたのか」という残念がる意見は多い。
ネット関係の仕事をしている立場としては、反論したい気持ちはある。しかし、実際に体を動かし相手に直面して語りあうのに比べれば、ネットの掲示板では生きている関係を築きにくいのは事実だろう。
息づかいや表情や口調もなく、無機質な文字だけ表示されるネットの掲示板では、コミュニケーションの質が、あまりにも違いすぎるのだ。
暮らしていくうえで、仲間やグループでのコミュニケーションの失敗は多い。誤解や表現不足で、それは往々にして起きる。しかし、仲間やグループにかかわる以上は、それを修復しなければならない。関係が円滑でなければ、円滑にする努力が求められる。だからこそ、コミュニケーションによって関係が深まり、ときには「支え」を見つける可能性は大きい。
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