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虚ろな絶望の果てに向かわせたものは?〜ある議論からの「秋葉原事件」

マスコミの「ゆがんだ犯人心理」像とは違う視点が

先日、ある対談を聴く機会があった。

正確には対談というよりフォーラムである。「NPO法人(特定非営利活動法人)プレーパークせたがや」が主催したもので、「プレせたフォーラム『戸惑う思春期、根っこの幼児期-子どもが育つってどいうこと』」という。

映像とか文字で視たり読んだりしたことはあっても、ナマの対談(フォーラム)を聴く機会は、それほど多いわけではない。

そんなヤジウマ的な興味もあったし、なによりも「親の力だけで、子どもが育つわけではありません」という切口に関心があったからである(もっとも、知り合いが多いという条件が大きく作用していましたが)。

本当なら「NPO法人プレーパークせたがや」について説明すべきところだが、そこは公式サイトを参照してほしい。また、「プレせたフォーラム」については、後日、主催者からの報告があるとのことなので、それ以前に、観客のひとりが、主観的なレポートまがいのことを書くのは、失礼にあたるだろう。

とはいえ、西野博之さん(フリースペースたまりば理事長)、三好洋子さん(「憩いの家」非常勤職員)を中心にした対談と、武田信子さん(武蔵大学教授)、登坂真人さん(弁護士)、天野秀昭さん(プレーパークせたがや理事)の議論は内容が濃厚で、いわゆる「朝まで生なんとか」の比ではなかった。豪雨のなか200人近い方々(男性も多かったようです)が集まったのも、うなづけるところである。

今回のフォーラムでも「秋葉原事件」は語られた。

それほど時間が経ってないというタイミングを差し引いても、あの事件の「衝撃の大きさ」を物語っている。ただ、報道で大きく伝える「衝撃の大きさ」とは、きわめて異質なものであったことは強調したい。

起きた事件の事実は同じである。にもかかわらず、マスコミの「ゆがんだ犯人心理」的な断罪報道とは、あきらかに別な次元の視点が、そのフォーラムにはあった。また、マスコミに登場する識者・専門家と呼ばれる方々の評論や分析とも、まったく違う議論があった。

それは「語る」と「受けとめる」の差だろう。

まれにみる衝撃的な事件だったからこそ、「受けとめる」視点で考えていくと、いまの子ども達を取りまく現実の断面のひとつが垣間みえてくる。

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