「学力」の格差は「オトナの覚悟」しだいか?
さらに「学力」には格差がある。「学力」を「解答力」だとしても、一方には、スタッフの大学院生でも苦労するような問題を解いて、中学に進学する小学生もいれば、知りあいの教師の話によれば、「九九」も身についていない中学生もいるらしい。それは、教師の指導方法や授業内容だけで生まれるのだろうか。それらの要素は否定できないにせよ、基本的には、「目的を決めて課題を克服していく」力に違いがあるから、結果的に格差となったのだろう。
だとすれば、「国語科において読み書きなどの基本的な力を定着させた上で、各教科等において記録、説明、論述、討論といった学習活動を充実(幼稚園教育要領、小学校学習指導要領及び中学校学習指導要領の改訂案等のポイントから)」しても、「解答力」の格差はなくならない。また「小学校高学年に外国語活動を導入(同上)」すれば、目的ばかりが増えるようで、結局、格差の拡大になるだけかもしれない。
この「格差」について、お父さん、お母さんは神経質になる。「せめて、オチコボレといわれないくらい(中学生の子どもを持つお父さん)」や「別に受験させるつもりはないけど、平均くらいで(小学生の子どもを持つお母さん)」といった方に、さらに「『学習指導要領』で、もっと差がついたら?」と聞くと、だいたい「そのような『改訂案』には問題がある」と答える。わが子のことを思う親の心情としては、あまりにも当然なことだろう。
しかし、あえて指摘すれば、「『解答力』(=点数)に差がつかないように」と願いながら「『学力』の低下」を心配し、にもかかわらず「『負担』が増えるのでは」とタメラウのは、「親の我がまま」といわれて仕方がない。もちろん、親の心情としては理解できるし、批難するつもりもないが、「あれも、これも」は成りたたない。
なかには「将来は○○中に決めてるので、受験への影響が心配(小学生の子どもを持つお母さん)」という方もいた。それも、それで理解できる。また、きっぱりと「義務教育は『読み書き、算数、礼儀作法』で充分(小学生の子どもを持つお父さん)」といった方もいた。それぞれ、賛否両論はあるとは思うが、「あれも、これも」ではないのは、はっきりと分かりやすいし、たぶん子どもにも理解されやすいだろう。
結局のところ、「学習指導要領」に関しては、「オトナの覚悟」が第一歩になるのだろう。「学力」という妖怪にしても肥大化させているのは、「オトナの覚悟」次第なのかもしれない。言葉の断片で飾られようが、「学力」を「解答する力」に置き換えようと、将来に向けて、目的を決め課題を克服していく力を子どもが持てば、「なにを学ぶか」の具体的な方向は明らかになる。
今回の「学習指導要領の改訂案」は、「学力」という妖怪によって生みだされ、さらに、その妖怪を肥大化させている。「学力」として「生きる力を育成(前出)」まで要求されては、子どももたまったものではない。ならば、「学力」=解答力と覚悟を決め受験を目的とするのも、「読み書き」と覚悟して、違った目的を決めるのも、それぞれの有効だろう。なによりも、子どもの戸惑いや混乱は避けられる。
そうはいっても、ほとんどのオトナは「どちらともいえない」として、判断を示すことを避けているのが現状だ。そこには「覚悟」しきれない事情があるのだろう。もしかすると、それも「学力」という妖怪に理由があるのかもしれない。(つづく)
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