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「学力の低下」は事実。でも「学力」とは?

はっきりいうと「学力の低下」は事実だ。我が現場の大学院生にいわせれば「年々(大学の)新入学生の学力レベルが低くなっている」らしい。個人的にも、高校生などと話をしていると、読んでいる本の少なさや(本を読んでいると学力が身につくとは限りませんが)、地理や歴史の知識の偏りに驚かされることがある。ついつい「昔の高校生なら○○の本の一冊や二冊」と、説教オヤヂになってしまいそうなことは多い。とはいえ、原点に戻れば、「学力」を比較し評価することなど可能なのだろうか。

たとえば「学力」を「基礎的・基本的な知識・技能に加え、それを実生活で生かしていくために必要な、思考力・判断力・表現力や学ぶ意欲などを含んだもの(首相官邸ホームページ「お答えします」から)」とすれば、その比較と評価は不可能に近いだろう。たしかに「知識・技能」ならば試験で比較できるかもしれない。しかし「思考力・判断力・表現力や学ぶ意欲」など、どうやって比較と評価するというのだろう。

さすがに失礼なので、「『学力』とは?」とは聞けなかったが、お父さん、お母さんには一定のイメージがあるようだ。「全国的な『学力テスト』で、せめて平均くらい(小学生子どもを持つお母さん)」や「公立高校に合格くらいの成績(中学生子どもを持つお母さん)」という答にあるように、「学力」を「問題を解く能力」あるいは「その結果の成績」に二重写しする傾向は否定できない。

しかし、社会のなかでオトナがいう「学力」は、「問題を解く能力」ではなく、思考や判断そして表現(伝達)する前提となる知識や姿勢だろう。スタッフの大学院生が低下していると指摘するのは、「問題を解く能力」が低いのではなく、「問題を解決していくための思考の基礎が身についてない」との意味である。また、高校生に感じるのは「判断や表現の前提となる知識の偏り」に近い。

それは「問題を解く能力」あるいは「その結果の成績」とは大きく違う。さらに「基礎的・基本的な知識・技能」とも「思考力・判断力・表現力」でもない。極端にいえば、将来に向けて目的を決め課題を克服していく「進む力」――それが「学力」なのだ。もちろん、「基礎的・基本的な知識・技能」も必要だろう。加えて「思考力・判断力・表現力」も欠かせない。しかし、そのような言葉の断片で表現できる程「学力」は単純ではない。

したがって「学力テスト」など論外である。克服していく「進む力」も、日々試されるが、点数によって評価されることは難しい。「学力」といいながら、結局「解答力」を比較し評価しているのが、「学力調査」なのだ。

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