「利用する」と「参加する」の違い
その「ヴァーチャル」論が理由かどうかは分からないが、はっきりいって、子どもの心配をしている割に、ネットのことにオトナの反応は鈍い。別にネットの「ドラマ(?)」に冷淡だからというわけでなく、どことなく他人任せという印象が残る。とりわけ、オトナ本人のネット利用については、セキュリティ対策も含め、自己責任という意識は薄いように思える。たしかに、誰でも気軽にのネットだから無理もないが、子どもとネットについて考えるには、マイナスの要素となってしまう。
いろいろなお父さんやお母さんと話をすると、「どうして禁じないの」という提供側を疑問視する意見が意外なくらい多い。その点について話すと「利用しているのだから」という利用者意識が見えてくる。おそらく、ネットといっても、ほとんどメールだけで、サイトといえば天気予報やニュースなどを眺めるくらいなのだろう。まさに利用しているのであり、当然、利用者意識も生まれる。
それはそれで批難にはあたらない。しかし、こと子どもとネットの関係では、この利用者意識だけでは解決しない。極端にいえば、ネットの背後には、美味しい言葉の罠が待ち受けているかもしれないのに、無防備に利用するだけなのだから、子どもに危険を嗅ぎ分ける術を教えることはできない。子どもに「この種のサイトは危ない」と教えることができなければ、信じやすい子どもは、やすやすと罠にはまってしまう。
そこまで極端ではないが、最近、耳にしたのは「ウィキペディア」の例がある。ご存じかもしれないが、「ウィキペディア」は、オープンコンテントの百科事典──誰でも記事を書いたり編集したりできる全員参加型の事典で、日本語版には約41万4000本の記事が掲載され、ちょっとした調べものには、実に重宝なツールに違いない。ただ、注意しなければならないのは、誰でも記事を書いたり編集したりできるが故に、情報の信憑性には疑問がある点である。したがって、公式な報告書の添付データには使えないし、学術論文に引用することもできない。
にもかかわらず、「内容が違う」という指摘があるという。聞いた話なので正確かどうかは確認できないが、自分で書いて編集すべきところを、利用しているという思いからだろうか、ただ指摘するというわけだ。利用者意識も、ここまで来ると本末転倒になってしまう。あえて苦言を呈すれば、ただ利用しているだけでは、オープンコンテントの百科事典は育たない。
もともと、ネットいうのは、利用するのではなく、参加しかかわるものである。貴重な情報を読んだら、こちらも情報を発信していくことがネットの基本なのだ。たしかに商用サイトの氾濫などで、往々にして利用している意識になってしまうことは否定しない。しかし、「ウィキペディア」のように参加すべきところを、利用意識のままでは、結局、すべてが他人任せになってしまう。
この他人任せのまま、子どもとネットの関係を考えるから「提供側」という発想も生まれる。まったく提供責任はない──という立場ではないが、利用から参加に意識を切り替えるだけで、ネットについて子どもと語る材料も増えてくると思う。子どもがメールだけでなくサイトも眺めるようになったら、最低限、「利用ではなく参加」していることを語って欲しい。それが無防備から抜けだす第一歩なのだから。(つづく)
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