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「子どもと対話し教科書にも目を通す」重箱の隅の隅まで

次に「子どもと対話」と「教科書」だが、15名の全員が「子どもと対話している(していた、しようと思う)」との回答である。なかには高校生の息子さんをお持ちの方もいらっしゃったが、一緒にカラオケに行くことも多いとのことで、15名に皆さんに限っていえば、親子のコミュニケーションは成立しているようだった。

ただ「教科書」は割れた。「目を通す(通した、通したいと思う)」が各年代にわたって9名で、「目を通さない(通さなかった、通さないと思う)」が6名であった。「学校まかせにしないで、ちゃんと見ている(30代 Fさん)」という方もいれば、「勉強なんてできなくていいから、家では勉強の話もしない(40代 Gさん)」という方もいる。

もっとも、教科書に目を通すことが親として必要なことなのか疑問が残る。たしかに、なにもかも学校まかせというのも困るが、いちいち教科書に目を通されていたら、子どもも息がつまってしまうだろう。偏ったイメージだが、教科書に目を通した後、親が子どもに言うのは「ちゃんと習ったこと覚えてる?」そして「ちゃんと勉強しなさい」になるような気がする。

別に教科書に目を通してなくとも、高校生の息子とカラオケに行くならば(この人が目を通していないわけではない)、親子関係は良好といえるだろう。また、スポーツや音楽の話題で子どもと熱い議論をかわせれば、教科書に目を通し「勉強しなさい」というより、はるかに貴重な時間になるだろう。なんとなく、この「教科書にも目を通す」には、子どもは勉強するものという固定観念があるような印象が残る。

考えてみれば、「ゆとり」から「学力」に路線転換したのだから、親にも勉強させる義務があるとでも思っているのかもしれない。しかし、なかには「勉強なんてできなくていい」という親もいる。子どもの個性や親の考え方で、学力や勉強に対する姿勢は千差万別な筈だし、そうあるのが当然ではないだろうか。それを無理に「学力向上」ひとつにしてしまうのは、どうしても納得がいかないところである。

それを、70代のPさんは「対話だとか教科書だとか、重箱の隅の隅まで、お国がクチだしすると、ロクなことにならない」と斬った。再び納得である。(つづく)

早川 玄+X(エックス)

世田谷区・目黒区で、NPO法人や勉強会などの現場で、子どもに関わる活動をつづけるそれぞれのX(エックス)と、「帰ってきた顰蹙の魔王」のペンネームでコラムを連載中の早川玄の協同執筆。

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