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カンボジア通信〜等身大の国際貢献(4) “おふくろ”的な優しさをカンボジアに注ぎ続ける、ある脚本家の15年の軌跡

PHOTO&TEXT:YORI IRISAWA

国連ボランティアに参加したことがきっかけで、カンボジアに学校を建てようという使命感が芽生え、レーゾンデートル(存在意義)を見つけた一人の主婦がいた。何の知識も無いままに、自ら道を切り開いて国際貢献を始め、カンボジアの子供たちに笑顔をもたらした岡村眞理子さん、その人である。

難関を突破して国連ボランティアに合格!

トライアスロンに参加するなど、もともと活動的な主婦だった眞理子さん。ご主人の重紀さんは単身赴任で不在がち、いつしかお子さんも大学生になって手が掛からなくなっていた。暇をもてあますのが嫌いな性分の眞理子さんは、1991年のある日、パリ和平協定後のカンボジアで行われる選挙のための、UNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)に関するボランティア募集告知を新聞で見つける。その応募要項は、「英語が不自由なく話せること」「大型自動車免許を取得していること」「健康であること」「どんな環境にも溶け込める適応能力」などだった。アスリートの眞理子さんは腕力があり、柔軟性もあったので、「体力」と「適応能力」は問題なかったが、「英語」は、カルチャーセンターに通っていたものの語学力は充分ではなく、「大型自動車免許」も、当然のごとく持っていなかった。

しかし、「私が知らない間に、英語の勉強もがんばっていて、さらに大型自動車免許まで取得していてね。必須条件を一つひとつクリアし、試験を受けて、ジュネーブでの面接にまで行ってしまったんですよ」と、重紀さんは当時を振り返って目を細める。たった8名の募集定員に対し、5倍の競争率だったにも関わらず、眞理子さんは、見事にUNTACでの選挙管理のボランティアに合格。何も知らずに出張から戻ってきた重紀さんは、多くの記者が自宅に詰め掛けているのを観て、何事かと尋ねた。「そこで、初めて、眞理子がUNTACボランティアに合格したことを知ったんです」と笑いながら語る重紀さん。眞理子さんの果敢な行動力に驚きはしたものの、言い出したら聞かない妻を止めることは、重紀さんには不可能であり、止めるつもりもなかったのだそうだ。

※:United Nations Transitional Authority in Cambodia(国連カンボジア暫定統治機構)
カンボジア内戦を終結させたパリ和平協定に基づき、国連事務総長の下、1992年2月に設立。選挙管理や、停戦監視、治安維持、難民支援を主要任務とした。和平協定締結後、初めて行なわれた選挙で選ばれた議会が憲法を制定。カンボジアに新政府が設立された1993年まで存続。当時、国連事務次長だった明石康氏が事務総長を務めた。

1992年、UNTACのボランティアでカンボジアを訪れていた岡村眞理子さん(写真提供:ASAC)

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